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材料加工史: アーモンド

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切る、砕く、すり潰す、炒る、煮る、合わせる、発酵させる。今私たちが手にする材料のほとんどは、食品メーカーによる「加工」によって成り立っています。ですが、当然のことながらどんな材料もはじめは単なる素材に過ぎず、あらゆる加工法は歴史のなかで人々によって育まれーーカカオがチョコレートになるまで3000年以上かかったようにーー定着していきました。

それでは、私たちがよく知る材料は一体いつ生まれ、どのようにして人々から親しまれるようになったのでしょうか。「歴史をつくった洋菓子たち―キリスト教、シェイクスピアからナポレオンまで」を著書に持ち、洋菓子の由来や歴史に造詣の深い長尾健二さんにその変遷を掘り下げていただきます。

今回は、ホール、クラッシュ、プードル、スライス、ミルク、エッセンスなど、固体から液体まで様々な形状に加工され使用される、製菓には欠かせない「アーモンド」について寄稿してもらいました。

長尾健二(ながお・けんじ)
1949年東京生まれ。(社)日本洋菓子協会連合会にて30年近くにわたって洋菓子専門月刊誌『ガトー(GATEAUX)』の編集に携わった後、退職してからはフランス料理を中心とする食文化史の探求に専念する。また、併せて洋菓子の由来と歴史に関する古今の資料収集にも力を注ぐ。

ブラン・マンジェ

皆さんはブラン・マンジェをよくご存じでしょう。インターネットで探すとレシピも無数に出てきます。そのレシピのほとんどには牛乳や生クリームが含まれていたりします。でも、これって実はとっても奇妙なことなんです。

ブラン・マンジェは、本来はすり潰したアーモンドに熱湯を加えて布で搾り取った液体、すなわちアーモンドミルクをベースにした食べ物です。
19世紀ごろまでのヨーロッパには断食というキリスト教の習慣がありました。断食の期間には肉や乳製品を食べることが禁じられています。1日2日ならともかく、この断食の期間は長いときには40日も続きます。その期間牛乳やバターが食べられないということになると、これはとても我慢できません。そこで牛乳の代用品として考え出されたのがアーモンドミルクだったのです。もともと牛乳の代わりにアーモンドミルクを使って作るのがブラン・マンジェだったのですから、それに牛乳や生クリームを加えるのは本末転倒ということになります。
まあ、断食意識のすっかり廃れた現代ではそんなことを気にしてブラン・マンジェを作るパティシエはいないでしょうが、この話は中世から近世にかけてのヨーロッパにおけるアーモンドの位置づけを考える上ではなかなか興味深い問題です。

ここでアーモンドの歴史を振り返ってみましょう。アーモンドの原産地はメソポタミア周辺の地域で、そこから地中海を経てヨーロッパに広まったと言われています。ギリシャ神話に「赦しの樹」という逸話があります。トロイ戦争の帰途にトラキアに立ち寄ったデーモポーンがそこでピュリスという姫に出会って結婚しますが、やがてアテネに帰らなければならなくなりピュリスと再会を約束してトラキアを去ります。しかしデーモポーンは帰らず、ピュリスは悲しみのあまり自ら命を絶ってしまいます。すると奇跡が起こってピュリスはアーモンドの樹に変身。何年かたってようやく帰ってきたデーモポーンがそのことを知ってアーモンドの樹を抱きしめると、中からピュリスがよみがえってデーモポーンを赦す、という話です。このように、アーモンドは古代世界でも象徴的な意味を持ったナッツとして知られてきました。

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デーモポーンがアーモンドの樹に変身したピュロスとの再会を果たす場面を描いたジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「ピュリスとデーモポーン」(1897)

マジパン

古い時代のアーモンドの加工法としてはアーモンドミルクと並んで「すり潰す」という加工法がしばしば用いられています。このすり潰すという加工によってアーモンドの使い道が大きく広がったことは間違いありません。

もともと小麦をすり潰して粉末にし、それでパンなどの食品を作ることは古代から行なわれてきましたから、アーモンドをすり潰して使うという発想もごくあたりまえに出てきたものでしょう。ただアーモンドには油分が多く含まれているので、小麦やほかの穀物と違ってすり潰しても粉末状にはなりません。ペースト状になってしまいます。

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食材をすり潰す作業に使用されていたモルティエ(すり鉢)とピロン(すりこぎ棒)。図は木製だが、アーモンドのような硬いものを加工する際は石製のモルティエが使用されていたと思われる

すり潰してペースト状になったアーモンドと聞いて皆さんがすぐに思いつくのはマジパンではないでしょうか。マジパンがいつどこでどのようにして生まれたのか、それは実はよく分かっていませんが、少なくとも10世紀ごろには地中海の沿岸でアーモンドを砂糖やはちみつと一緒にしてすり潰した食べ物が作られていたと考えられています。当時その地域を支配していたのはイスラム教を信仰するアラブ人でした。彼らはやがて海を越えてスペインに進出します。

当時スペインの中心地であったトレドはマジパン(スペイン語ではマサパン)の名産地として知られています。街の中にはマジパンの専門店がいくつもあります。その中でとくに有名なのが「サント・トメ」。ホームページによればトレドで最初にマジパンが作られたのは13世紀とのことだそうで、もとをたどればおそらくアラブ人によって持ち込まれたものでしょう。当時砂糖は非常に高価だったので、食べ物というより薬に混ぜて服用しやすくするための補助材として用いられていたとも推測されています。

中世以降にはマジパンはヨーロッパ各地に広がり、それぞれの地で独自の発展を遂げました。たとえばフランスではマジパンはパート・ダマンドとなり、ドイツ圏ではそれがマルツィパンになったといった具合です。ドイツのリューベックはマルツィパンで有名ですが、その起源は15世紀にさかのぼります。パート・ダマンドが主にお菓子の原材料として使われるのに対して、リューベックなどドイツ圏のマルツィパンは果物や野菜、動物などの形に加工されてそのまま食べられることも少なくありません。ドイツ菓子の影響が強い日本のデコレーションケーキの飾りにしばしばマジパン細工が使われるのは、明らかにドイツの影響です。

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サント・トメのマジパン

近代以降のアーモンドの加工

中世から近世にかけては、料理にしろお菓子にしろ、原材料としてのアーモンドはホールで用いられるもの以外はほぼすり潰して用いられました。その代表がマジパンでありアーモンド・ミルクであったわけです。14世紀に出された手書きの料理書「ル・ヴィアンディエ」に出てくるアーモンドはすべてすり潰して湯や出し汁で溶いて使うものでした。それが変わってくるのは17世紀以降のことです。

19世紀初めに活躍した伝説的なパティシエであるアントナン・カレームの著書「パリの宮廷菓子職人(Patissier※ Royal Parisien)」(1815年)まで時代が下るとアーモンドがレシピに現れる頻度もぐっと増えます。そしてより重要なことに、その加工法にも多様性が見られるようになるのです。一例を挙げてみましょう。
(※Patissierのaは「a + accent circonflexe」)

・アーモンド4リーヴルの皮をむいて洗い、縦切りにして、やや中火の窯に入れ、焼色がつかないように乾燥させる。(シュクル・フィレで飾ったトルコ風大型ヌガー)

・アーモンド5リーヴルの薄皮をむき、1つ1つを2分割し、さらにそれを同じ大きさの5個の細片にカットする。(メロンの形の大型ヌガー、フランス風)

・同量の粉末状にしたアーモンド(ガトー・ド・ミルフイーユ・ア・ラ・ナポリテーヌ)

・甘アーモンドと苦アーモンドを一緒にしてすり潰したアーモンド(ガトー・ダマンド・アメール)

※カッコ内は菓名

などなど......

これでもごくほんの一部です。ここから判ることは、カレームの時代にはお菓子の原材料としてアーモンドを使うのがごく当たり前のことになっていて、しかもその加工形態も現代とほぼ同様にきわめてバラエティに富んだものになっていたということです。

太古の昔から存在するアーモンド。それは時代と共に廃れるどころか、加工法においても調理法においても多様化の一途を辿ってきました。そこには人々の食に対する探究心、そして職人たちのものづくりに対する欲望が見え隠れしています。

 

Cover photo by blackieshoot on Unsplash