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小商いのカタチ:キュルティヴァトゥール(岐阜県中津川市)

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article : Yohei Naruse
pictures : Eri Naruse

お店づくりは小商いの最初の一歩。 一軒のお店には、そこに携わった人の数だけ物語が秘められている。 手元のカードと思い描く理想を天秤にかけ、何を選びとっていったのか。 お店が出来上がっていくその背景をひもとくことで、小商いの理想のカタチを探る──

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岐阜県東部に位置する中津川市。 深田百名山の一つ恵那山を望む山間の集落に一軒のパン屋がある。 店名は「キュルティヴァトゥール」。フランス語で「耕す人」を意味する。 3年半をかけて建物をセルフビルドし、ひけらかすことなく素材にこだわり、実直にパンを焼き続けている。 開店から17年、この土地に根差しながらパン屋を営む渡邊俊介、由三子夫妻に話を聞いた。

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パンに導かれた出会い

お店でパンを焼くのは俊介さんの仕事だが、パンの道に先に進んだのは由三子さんだった。

「小学生の頃からパンやケーキを作るのが好きで、高校二年の時に大阪の辻製菓専門学校に行くことを決めました。最初はケーキ屋志望でしたが、パンの授業が面白くて名古屋のパン屋に就職。2年間働いた後、名古屋製菓専門学校の助手として働き始めました」

俊介さんは三重県御浜町の出身。穏やかな七里御浜が目の前に広がる温暖な土地で生まれ育ち、学生時代はラグビーに明け暮れた。大学卒業後は、食に携わる仕事がしたいとスーパーマーケットに就職、鮮魚部門に配属された。そんな俊介さんがパン屋を志したのは25歳の時だった。

「仕事は楽しかったけど、売り上げを伸ばすためにいつもカリカリしている店長を見て、いずれ自分もこうなるのかと不安を抱きました。別の生き方を模索するようになり、知人の紹介で近くのパン教室に通い始めたんです。パン屋になるのもいいかもしれないと思って先生に相談したら『専門学校に行った方が良い』と言われて。ちょうどその年に名古屋製菓専門学校が開校したことを知りました。貯金が150万円くらいあったから、学費も賄えるなと。それで専門学校に行くことにしたんです」

ちょうど由三子さんが助手として働き始めた年だった。二人は専門学校で出会うこととなる。俊介さんは1年間パン作りを学びながら、当時としては珍しく国産小麦とオーガニック材料にこだわるパン屋でアルバイト。卒業後はそのまま名古屋のパン屋に就職した。一方、由三子さんは3年間働いた専門学校を辞めて中津川市の実家に戻ってきていた。

「これからどうするか考えた時、結婚して、店を出そうということになったんです。それしか食べていく方法が思いつかなかったから。候補となった場所は三重県の御浜町、名古屋、そして中津川でした。三重も良いけど人口が少ないから不安が大きいし、名古屋から材料を仕入れると輸送費が嵩んで高くなる。お金がないから名古屋でテナントを借りるのは大変過ぎるし、田舎育ちの自分たちには都会の狭いお店で何十年も働くのはピンとこない。そうじゃないパン屋ができたらいいなと思いました」

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キュルティヴァトゥールの前の庭では、中津川の雄大な自然を感じられる

セルフビルドという選択肢

由三子さんの実家の周りには森と田んぼが広がっていた。しかも名古屋から車で1時間で来られ、インターや駅からも15分とアクセスも悪くない。でも、どうやってここでパン屋を開くのか。

「現実的には難しいかなと思ったんだけど、由三子の中には既に青写真があったんです」

由三子さんの父、良一さんは「創作工房 灯工舎」を営む木工職人。自宅も民家の廃材などを利用して10年以上をかけてセルフビルドしていた。

「実家の前に、お義父さんがパン屋の建物を作ってくれる計画があると話してくれたんです。そんなことができるものか疑問でしたが、実際にお義父さんが建てた家を見たら本当にできるのかもねって。田舎でパン屋をやっていけるか不安もあったけど、由三子の夢に乗っかってみようと決心し、名古屋のパン屋を退職して2002年の夏の終わりに中津川に引っ越してきました」

建築作業はすぐに始まった。まずは石垣を積んで基礎を作るところから。とはいえ、現金収入がなければ生活できないし開店資金も貯められない。俊介さんは近くの陶磁器会社に就職し、由三子さんは文化センターや自宅でパン教室を始めた。

「自宅で教室を開くためにガスオーブンを探しました。当時はタウンページしかなかったからリサイクルショップに片っ端から電話して、ガラクタの中から都市ガス用のオーブンを見つけました。お店の人が『1000円でいいよ』って言ってくれて。ここはプロパンガスなんですけど数千円でプロパン用に変えられるのはリサーチ済み。だけど、本当に動くかわからなかったので名古屋の親戚のところに持って行って試してみたらちゃんと使えた(笑)。教室は週に4回くらいで、土曜日は午前と午後の2回。家だと狭いので定員を4人にして、1回1人2500円でやっていました」

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平日は良一さんが建築作業をし、休日には二人で手伝った。新しい木材も買ったが、安く譲ってもらった古い木造校舎の解体材などを器用に刻み直して使った。ほぞ穴が埋められた梁など、今も店内には随所にその跡が見て取れる。

「トイレや屋根材は作れないから買うことにして、建物の材料費は100万円くらいでした。パンのための機械もほとんど中古で手に入ったので、100万円くらいで揃えられました。親戚に電気屋さんがいたから安く工事もしてもらえたし、近所のおじさんからは使わなくなった大きいエアコンを譲ってもらいました。普通はパン屋を開業するには建物で1000万円、機械で1000万円くらいかかるんだけど、ずいぶん安く済ませられました。それはお義父さんの存在と、この土地が使えたことが大きいですね」

3年半かけて建物が完成。2006年4月25日、いよいよオープンの日を迎える。

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17年かけて培ってきたもの

「最初はパン教室のお客さんや名古屋の知り合いが来てくれました。オープンしたては良いけど、大切なのは3カ月後。目新しさは終わっちゃうから。最初の1年間は決して売り上げが良かった訳ではないけど固定費が少ないからのんびりした気持ちもあった。たとえば2000万円も借金があったらそんな平常心ではいられないですよね」

SNSもない時代だったが、地元のウェブサイトが真っ先に取り上げてくれ、それを見た名古屋のローカル雑誌が取材に来て、名古屋からもお客さんが来るようになった。開店から3年後には、JR名古屋高島屋からパンのイベントへの出店依頼が来るようになり、新聞やテレビの取材も重なって、年を追うごとに評判は広まっていった。

「車で1時間くらいのところにある一軒のケーキ屋さんがモデルでした。山深いところにあるんだけど流行っていて、ちゃんとしたものを作ればお客さんに来てもらえるんだって。逆にこういう長閑な環境だから名古屋からも来たいと思ってもらえるんだと思います。これが中津川の街中だったら違ったでしょう。開店した年の夏からカフェを始めて、休みの日にはテラス席の増築作業をしました」

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晴れた日には木漏れ日が降り注ぐ自慢のテラス席にて。

店内には季節ごとの素材を使ったパンが40種類ほど並ぶ。表向きにアピールしている訳ではないが、素材へのこだわりは徹底している。

「最初から国産小麦を使っています。当時はまだメジャーではなかったんですが、ちょうどフードマイレージっていう言葉も出始めた頃でした。小麦は平和製粉の三重県産ニシノカオリなど10種類ほどを使い分けています。副材料はできるだけオーガニックのものや地元のものを。例えば、マンゴーが使いたいと思ってもここじゃ採れない。だから使わない。りんごやイチゴ、桃や葡萄など柑橘類以外の果物は比較的手に入ります。柑橘類は御浜町の親戚が作っているから送ってもらっていますが、それ以外のものは遠くから取り寄せては使いません。それからハードなパンもしっかり焼いていきたい。田舎では買ってくれる人が少ないけど、作り続けることで固定客ができてきたし、それを目当てに来てくれるお客さんもいます」

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こだわりの材料。地元のハム工房「ゴーバル」のジビエソーセージ、ショルダーベーコン、生ハムスライス、特製ラード。瓶に入っているのは恵那市明智町のハチミツ。そして恵那市中野方町で自然栽培された小麦の原麦。

「特にこだわっているのは食パンとカンパーニュ。食パンにはラードを使っています。ドイツのパンには使われるんですが食パンに使うのは珍しい。しかも、近くにある『ゴーバル』というハム工房に依頼して、廃棄されるはずの豚の脂から作ってもらっているんです。養豚から一貫して育てた豚だからまさに地産地消。市販のラードには添加物が入っているけどゴーバルのラードは純粋な豚の脂だけ。実は脂まで考えてパンを作っています。カンパーニュは塩、水、酵母、小麦粉という最低限のものだけでどう美味しいものを作るかがカギ。日々の主食となるものなので余計なものは使わない。そういうパンをちゃんと作っていきたい」

2年前、図らずもコロナ禍があったことで新たなパンが生まれた。ブーグルブローと名付けられたそのパンは、今やキュルティヴァトゥールの看板商品となっている。

「コロナ禍で休業していた時に、以前から気になっていた製法を試したんです。シュトーレンを作る時に発酵バターを溶かして上澄みだけを使うんですが、下に沈澱する乳漿は捨てていました。この乳漿を使ったら良いものができるんじゃないかと思っていたんです。いつもは忙しくてできなかったんですが、コロナ禍で時間ができたので、乳漿を小麦に混ぜてパンを作りました。そうしたらチーズっぽい独特の風味がしたんです。ちょうどその時、BUKOのコンテストがあることを知りました。クリームチーズを使ってオリジナルのお菓子を作るというもので、乳漿を使ったパンを作って応募してみたんです。最終選考まで残って東京に行った時、審査員から発酵菓子での応募は初めてだと言って評価してもらえ、優勝することができました」

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看板商品となったブーグルブロー。

優勝のニュースは話題になり、新聞やテレビでも取り上げられた。コロナ禍にもかかわらずお客さんがずらりと並ぶバブルが起きた。捨てていたものをなんとか使えないかと思ったこと、クリームチーズのコンテストの知らせが来たこと、コロナ禍で時間に余裕ができたこと。さまざまな要因が重なって生まれたのが、ブーグルブローだった。

「軌道に乗った時はなくて、いつも『来年は大丈夫かな?』って思っています(笑)。人生には色々と分岐点があると思う。進む道があっていたのかはわからないけど、なんとか17年はやってこられた。それには借金や固定費が少ないことが大きかったですね」

けれどもそれだけで17年もパン屋を続けられる訳ではない。流行りに惑わされることなく、評判に驕ることなく、研究熱心で真面目にしっかりとパンを焼き続けること。地域に根差し、地元の人々が気兼ねなく訪れるお店であること。土を耕すように実直にパンを作り、人のつながりを作り続けてきたことが、その一番大きな要因なのだろう。

開店の3年後には娘が生まれた。3年前には愛犬が家族に加わり、お店はさらに賑やかになった。17年の歳月を経て建物はすっかり周りの森に溶け込み、テラス席には今日も麗かな木漏れ日が降り注いでいる。

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絵=成瀬洋平

キュルティヴァトゥール
岐阜県中津川市阿木 2664-270
tel : 0573-63-3707
10:00~16:00
10:00~18:00 (日祝、LO.17:00)
火水土休
HP : https://www.cultivateur.jp/
Instagram : @cultivateur_nakatsugawa