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小商いのカタチ:Backerei Konditorei Hidaka(島根県大田市)

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article/ pictures : Yuya Okuda
coordinate : Kentaro Ogura

お店づくりは小商いの最初の一歩。 一軒のお店には、そこに携わった人の数だけ物語が秘められている。 手元のカードと思い描く理想を天秤にかけ、何を選びとっていったのか。 お店が出来上がっていくその背景をひもとくことで、小商いの理想のカタチを探る──

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世界遺産・石見銀山のある町として知られる島根県大田市の大森町は、人口400人規模の小さな町。この町で唯一のパン&洋菓子店が今、町の活性化に一役買っているという。石見銀山へと続くメイン通りに立つ築100余年の古民家を改装した「Bäckerei Konditorei Hidaka(ベッカライ コンディトライ ヒダカ)」を営むのは、夫婦そろってドイツのマイスター資格を持つ日高晃作さんと直子さん。店内にはドイツパンを中心とした多種多様なパンに、タルトやバウムクーヘンなどの洋菓子が並び、壁を挟んでその隣には地元食材を使用したジェラートを販売するカフェスペースが併設されている。2015年に東京から単身でIターンしてパン屋を始めた日高晃作さんだったが、石見銀山を訪れたこともなければ、島根にゆかりもなかったという。ドイツで磨いた確かな技術を持ちながら、なぜ東京ではなく田舎町で開業するに至ったのだろうか、まずはその経緯から話を訊いた。

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与えられたモノで勝負する

「島根県にはドイツパンを扱うお店はほぼなかったし、大田市内でパン屋も1、2軒しかありません。東京でやっていれば競合も多くてたいへんかもしれませんが、ここではむしろ地元の方たちから、パン屋があってよかったと感謝してもらえるんです」

作業の手を止めてそう話す晃作さんの口振りから、おおらかな人柄が伝わってくる。ドイツは世界でもっともパンの種類が多く、特有のパン文化を持っている。ドイツパンはすんなり地元の人に受け入れられたのだろうか。

「最初の頃は来店したおばあちゃんがトングで端からパンをコンコンと触診して、やわらかいパンを探している姿をよく見ましたね。イベントでうちのパンを食べていただく時は、ライ麦パンにさまざまな具材を乗せて食べるドイツ流のオープンサンドを召し上がってもらったりもしますよ。けど僕はガチガチにドイツパンを売りにしているわけではなくて、地元の人に求められるパンも作っていきたい。だから最初は全然作るつもりのなかったあんぱんも、地元のおじいちゃんおばあちゃんのリクエストを受けて作るようになった」

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大森町に来てから、地元の農家さんなどから食材が次々と舞い込んで来るようになったという。日高さん夫婦は、いただいた食材を無駄にしないようにパンやジェラートを作っていくうちに、なるべく地元食材を使ったパンやお菓子を提供したいと思い、一昨年から直子さんはクラフトジェラートショップ「アイスカフェヒダカ」を店舗の隣で新たに始めた。

「どこの家庭も農作物を作られているので、アスパラやセロリといった野菜のB級品が持ち込まれるんです。作っていないものはないんじゃないかと思うくらいに農作物の種類も豊富で、都会だと簡単に手に入らないものばかり。だからうちも助かっていますし、宝物のような食材が見過ごされているのがもったいなくてジェラートも始めたんです。パンやお菓子は使える量が限られてしまいますが、ジェラートなら食材もたくさん使えますから。たとえば近隣の方が毎年持ってきてくれる黒文字の枝からは、淡いピンクジェラートができるんです。本来ならあまり活用されることのない野草でも、ジェラートに生まれ変わらせることで地元の方は特に喜んでくれますし、日々の恩返しをしている気持ちになります」

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パンにはどのように地元食材が活用されているのか、晃作さんに訊ねた。

「今日並んでいるパンでしたら、トマト入りライ麦パンですね。JAさんがいっぱい抱えているB級品のトマトを使っています。色も悪くて生で食べても酸味が強くて美味しくないトマトを、ひとまずドライにして甘く煮てみたら美味しくなったので、ライ麦パンに合わせました。そのままでは美味しくないものを美味しく食べられるようにできた時が一番嬉しいですよね。仕事したなって思えます。そのままでも美味しい食材はそのままでいいじゃないですか。それに、自分からこの食材が欲しいと思って探すよりも、自分のところに来た未知の食材をどう加工するか、自分の中の料理の引き出しを全部開けながら必死に考えることで生まれるものがあるんです」

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食と地域資源、歴史を結びつける

今あるもの、与えられたものを駆使して最善を尽くすのが性分だと晃作さんは話すが、そもそもこのお店も与えられたお店だという。大森町で古民家再生活動を続けている、世界的な義肢装具メーカーの中村ブレイスの会長の中村俊郎さんから、お店と家を用意するから大森町に来ないかと言って連れてこられたのがはじまりだった。

「どんなところか知るために大森町に訊ねた時にはすでにリノベーションが始まっていて、厨房の動線とかもあるから大工さんも困っていたんです。大工さんから『あなたが日高さんですか? パン屋さんの売り場と厨房はどうしましょうか?』と訊かれて、スイッチが入ったように本当に自分がここでパン屋をする気で考え出して、『うーむ、こっちにオーブンがあって、こっちに焼けたパンが並びますかねー』というやり取りをしているうちに、僕もすっかりその気になってしまって、東京に戻って大森町へ移住することを嫁に話したら真剣に諭されました(笑)。やめてちょうだいと。でも雇われてパンを作ることにそろそろ限界を感じていたんです。自分ならこうしたい、こんなパンが作りたいというアイデアがどんどん沸いてくる。そんなタイミングでもらった話だったし、開業の初期費用がかからないのは大きかった。いきなり独立して家族の保険もなくなるとたいへんなので、中村ブレイスの社員扱いにしてもらってしばらくは営業をしていました。最初は単身で移住しましたが、数年後に家族も合流して、3人目の子供が1歳になったタイミングで独立しました。いきなり東京から田舎に来て何千万円も借金してお店を作るなんて、まずできないじゃないですか。それだけ中村会長に地元愛があって、この町をなんとかしたいという思いが強かったんだと思います。なかなかないケースではありますが」

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晃作さんがこの町で始めた自主企画のひとつに「天空の朝ごはん」がある。夜明け前に地元の名峰三瓶山に登って、朝日を見ながら朝ご飯としてパンを食べるというものだ。ちょうど取材日に開催されたこのイベントは、2016年にスタートして今回で86回目を数える。

「周りの人が僕の思いつきに乗ってくれたからできたものです。最初は大森町で開催したんですけど、その話を聞いた国民宿舎の三瓶荘の方から、ぜひ三瓶山でも開催してくれないかと言われて、三瓶山で開催したら天気も良くてとてもよかったんですよ。でも、今度からは参加費をこのくらい取ろうなんてお金の計算をし始めたら曇ったり(笑)。欲なしでやるのが大事ですね」

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晃作さんの自主企画には他にも「熟成シュトレンプロジェクト」というものがある。12月に食べるドイツの伝統菓子パンのシュトレンを石見銀山の坑道跡で1年寝かせ、その回収も含めてイベントにするというものだ。

「シュトレンはフレッシュなものも美味しいのですが、寝かせた美味しさもあって、ドイツでは閉山した炭坑の跡で何カ月か置いてから売っているお店もあったので、石見銀山でも同じことができないかなと思ったんです。だけど世界遺産ということで教育委員会やユネスコを説得せねばならずハードルが高く、確かに人類の遺産を商売目的で使うのはどうかと思い、まず手始めに温泉津町にある福光石の石切場で始めてみたんです。5、6年くらい続けていたのですが、去年一昨年あたりから石見銀山の坑道跡を使って商品を作ることが観光に結びつけられないかと、市役所から指定事業者のような形で任せてもらえることになり、去年ツアーをやったんですよ。福光石の石切場と石見銀山の坑道跡の2カ所をバスで巡って、みんなで地中空間に入ってシュトレンを取り出して試食するというものですが、やってみたらすごくよかったんですよね。歴史が好きな人と食が好きな人ってあまり結びつかないんですけど、これなら石見銀山の歴史に思いを馳せながら味わってもらえるし、地上から100m以上も奥でシュトレンを寝かせているのですが、そこに行くまでに山をけっこう歩かないといけないし、シュトレンって重たいんですよ。だからツアーにするとみんなに運ぶのを手伝ってもらえるし、参加費ももらえてお土産として買ってもらえるでしょ。これはいいなと思いましたね。市役所側も石見銀山の活用事例として喜んでくれました」

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人との関わりの中で暮らす

まったく縁もゆかりもなかった大森町をすっかり地元目線で見つめる晃作さんにそのことを話すと、「昔から、住む場所のことがすぐ好きになっちゃうんですよね」と微笑む。移住と開業から8年が経ち、振り返って考えてみて何がよかったのかを訊ねた。

「単身でこっちに乗り込んできたのがよかったのかもしれません。最初から全部を揃えて、家族も一緒に乗り込んでいたら、これだけの人の関わりが生まれなかったと思います。最初の1年半くらいは一人だったので周りの人たちも気にかけてくれ、『晩ごはんはあるのか?』と自宅に呼んでくれたりと、多くの人に助けてもらいました。全部が揃っていたら自分たちだけで完結してしまいますが、足りないものを現地で揃えていくスタンスのほうがいいですよね。今だから言えることですが(笑)」

アイスカフェヒダカのイートインスペースには、晃作さんがここで築いた交友関係を物語る写真がいくつも飾られている。広告業界を中心に業界の第一線で活躍する写真家の藤井保さんによるものだ。桜島の写真と桜の写真、そして直子さんが作る本場ドイツのバウムクーヘンをモノクロでまるで山の稜線のように印象的に捉えた写真が、壁にフィットするようにパネル加工されて飾られ、凛とした空気を醸し出していた。

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「バウムクーヘンの写真のタイトル『ヒダカシュピッツェ』というのは、日高山脈という意味です。ドイツにはツークシュピッツェ(2962m)という一番高い山があって、それに掛けています。藤井保さんはすぐ近所に住んでいて、よく夕方になると『日高くん一杯飲もうよ』って誘ってもらうんです。僕は親父が鹿児島出身で、その話を藤井さんにしたら、『縁があるね。じゃあこの写真遊んでるからここに飾ろうか、サイズもちょうどぴったりだ』って桜島の写真を飾らせていただいているんです。藤井さんからの提案で、このイートインスペースを若手の写真を飾る空間にしようと考えています。わたしが審査員をするからって(笑)」

いつの間にか著名な方と仲良くなって、撮影まで頼んでしまう夫のことを呆れたように笑う直子さんに、改めて今の暮らしについて訊ねてみると、「どうしてここにいるんだろうってようやく思わなくなってきた7年目ですね」と微笑んだ。同じことを晃作さんにも訊ねてみた。

「1年1年、1日1日を積み重ねるなかで、ここは受け皿がある町だなって感じています。そして今、ここに住んでいた人たちから『町が変わった』と言ってもらえることが、何よりも嬉しいんです」

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Bäckerei Konditorei Hidaka
Eis&Café Hidaka
島根県大田市大森町ハ90-1
tel : 0854-89-0500
パン: 10:00~16:00(月・火・水定休)
カフェ: 11:00~16:00(月・火定休)※水曜日はカフェのみ営業
HP : https://bkhidaka.com/
Instagram : @b_k_hidaka
Facebook : @bkhidaka