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小商いのカタチ: てくてく(北海道内の山)

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article/pictures : Yuya Okuda

スモールビジネス(=小商い)を始めること、それは生き方の選択と言っても過言ではない。
どこで、誰と、何をつくり、どのように商売をしていくのか……
小さな選択を繰り返す過程でそれぞれのお店には物語が生まれていく。
自分らしい生き方を選んだ人たちの"小商いのカタチ"をめぐる連載。

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行商という言葉を辞書で引くと、「店舗を構えないで、自ら商品を携えて売り歩くこと。またその商人」とある。日本で行商と聞いて思い浮かべるものとしては、江戸時代から明治にかけて活躍した近江商人が筆頭かもしれない。現代では聞き馴染みがない行商というスタイルでお菓子を売る女性が北海道にいる。北海道内の山を登っては、登山道で出会った登山者にクッキーを売るお菓子売りの『てくてく』こと山口あいみさん。令和版の行商はどのように行われているのか、秋めいてきた9月中旬の黒岳での行商登山に同行させてもらった。

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山でしか買えないお菓子屋さん

朝7時に黒岳ロープウェイ乗り場の前まで行くと、小屋のような形をした背負子を背負った山口さんとその友人の姿があった。今回は三連休の初日で登山者が多いことを見込んで、普段の倍のお菓子を2台の背負子に詰め、初の二人体制での行商に挑むという。

黒岳は北海道の中央部に位置する大雪山系の一座で、標高は1984m。日本百名山に名を連ねる大雪山は全国の山好きにとって憧れの山で、シーズン中には道外からも多くの登山者が訪れる。ロープウェイとリフトで7合目の1510m地点まで上がれるため、短時間で雄大な景色の中に飛び込めるのも人気の理由のひとつだ。

「てくてくさんですよね? 今ってクッキー買えますか?」

リフトを降りて登山道を歩く準備をしているとさっそく登山者から声がかかる。山口さんは「もちろんです」と、背負子の扉を開けてこの日のお菓子のラインナップを説明する。クッキーはプレーン、抹茶マカダミア、ココアチョコチップ、オートミールココナッツの4種類で、それぞれ6個入りで500円。それに加えてシーズンごとにカラーを変えたオリジナルの手ぬぐいと、アイコンのイラストのピンバッチを販売する。声をかけてきた登山者は嬉しそうに買い物をすると、山頂を目指して登山道を登っていった。

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いざ登り始めると、次々に登山者から声がかかる。この日の黒岳の登山者の中には、山口さんに会うためにわざわざ黒岳に登りに来た人も少なくなかった。Instagramの投稿で行商の告知をチェックしていたという若い男性や、以前他の山で遭遇した時に現金を持ち合わせていなかったため「今回は小銭をたくさん用意してきたんですよ」と嬉しそうに話す中年の女性など、客層もさまざまだった。

「おはようございまーす。お菓子売りの『てくてく』です。山でしか買えないお菓子屋さんをやっております」

山口さんはすれ違う登山者一人一人に自己紹介も兼ねて挨拶をしていく。多くの登山者が、背中に背負っているものが気になるようで、立ち止まって背負子の中を覗き込んでは「ほんとに行商してるの!?」と、いいリアクションを見せてくれる。すると山口さんも「どちらから来たんですか?」「大きい荷物ですけどテント泊ですか?」「予報に反して天気が回復してきてよかったですね」「明日もどこか登られるんですか?」などと声をかけて交流をはかる。しばしの歓談の後、「じゃあせっかくだから」と登山者も笑顔でクッキーを買っていくのだ。

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山の上での不思議なお菓子屋との遭遇をおもしろがる人も多く、「写真を撮ってもいいですか?」と訊かれれば山口さんも「ええ、フリー素材なので何に載せてもらっても大丈夫です」と返してその場を和ませる。そうして人だかりができると他の登山者も気になって近寄ってきて、さらには既に購入した人が今度は他の登山者に宣伝を始め、山口さんを中心に登山者たちの輪が広がっていく。

クッキーを買った後に「元気をもらいました、ありがとうございます」と、何度も感謝を述べる登山者たちの姿が印象的だった。そして別れ際に山口さんも「お気をつけて、いってらっしゃい」と言葉を投げかける。ものを売り買いする時に芽生える“有り難い”という感謝の気持ちを目の当たりにし、これこそ本来の商いのあり方なんじゃないかと思えた。

前例がないことがやりたい

お菓子売りの『てくてく』は今年で4シーズン目。札幌を拠点に道内の10を越す山で、雪解けのゴールデンウィーク頃から積雪する11月までの間、週末限定で行商をしている。このユニークなお菓子屋さんはどのようにして始まったのだろう。

「最初は友人とカフェを始める予定だったんです。コーヒーの焙煎をしている友人からお菓子担当として誘われて、お菓子作りの経験も未熟だったけどおもしろそうだから引き受けたんです。ですが、物件探しをしていた頃にコロナが蔓延してしまい、未経験の自分たちがそんな状況でカフェをやるなんてリスキーだからと一旦白紙にすることになったんです」

その時には既に会社員を辞めて、カフェ営業に活かせるようにと飲食店でアルバイトをしていた山口さんだったが、コロナの影響で飲食店で働くことも厳しくなる。そして、カフェ計画が再開した時のために食に携われる職種で働きつつ、試作を続けていたスイーツもどこかで販売することで自分の顧客をつくろうと考えるようになった。

「売り先としてインターネットやシェアカフェも考えましたが、どれもピンとこなかったんです。既にやっている人も多いし、お店は持たずとも一流のパティシエと遜色ないくらいのものを作って販売している人だっている。とてもそんな人たちと同じ土俵で戦って勝てるスキルはないし、考えた結果、前から登山が好きだったこともあって、山の上で売ったらおもしろいんじゃないかと思ったんです」

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その当時から『てくてく』という屋号も、今の背負子を担ぐイメージも思い浮かんでいたという。問題はどうしたら山でお菓子を販売できるのかということだった。山ごとに許可が必要なのか、その場合どこに許可をとればいいのか。前例のないことだからこそ、苦労の連続だった。だが、そんな境遇こそが山口さんの闘志に火をつけた。

「できないと言われたことをどうやったらできるか考えることにおもしろさを感じるんです。壁にぶち当たったら、どこから攻めたらいいのか考える。それがダメなら次はどうすればいいかの繰り返し。インターネットで調べられることはとことん調べて、それでもわからなければいろんなところに電話をかけました。やると決めたらあとはとにかく行動あるのみなので」

そうやってようやくこぎつけた行商のデビューは2020年7月24日、最初の山は小樽市にある塩谷丸山だった。

「今でこそ『てくてくさーん』って寄ってきてくれる登山者もいますが、最初は『製造許可をちゃんと取ったお菓子を、行商というスタイルで今日から販売させてもらっているんです!』って緊張しながら説明していました(笑)。そうやっておそるおそる山でお菓子を売り始めたけど意外とすんなり受け入れてもらえて、その年の末にはInstagramのフォロワーも3000人くらいまで増えていました。登山者がおもしろがって写真を撮って、それをSNSに投稿してくれることで広告になっているんでしょうね。私の力ではなく、みんなが『てくてく』を広めてくれていると思っています。それに私自身、こんな人が山の上にいたらおもしろいだろうなと思って始めたことだったので、自分と同じようにまわりもおもしろがってくれているのは嬉しい」

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山口さんは『てくてく』の活動と並行して、商売をさせてもらう山に対しても真摯に向き合うようになったという。それぞれの山には、エリアごとに管轄の行政がある一方で、より身近なところでいつも山を見守っている人たちがいる。そういう人たちの登山道整備のボランティア活動に参加したり、地元の山岳会に入会することで、山口さんは山に深く関わっていくための地盤を固めていった。今では登山のみならず、マウンテンバイクやバックカントリースキーと山での遊びの幅を広げ、毎年北海道内外のアウトドアブランドやショップが集まる札幌のイベント「E.Z.O(Enter Zone Outdoor)」や、日本最大級のアドベンチャーレース「Niseko Expedition」にも実行委員として携わっている。

「こんなにアウトドアにのめり込んでいったのも、行商を始めたおかげですね。かつて人が入ってきた山というのは、やっぱり人が手入れしていかなければなりません。何もしないことが自然環境を守るということにはならないんです」

いつも楽しませてもらっている山への責任が、いつしか山口さんの中に芽生えていた。

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おもしろいかどうかが行動基準

登山開始から1時間が経った頃、景色もすっかり開けて頂上が近いことがわかる。

「黒岳は頂上にある標識のところまで行った先に見渡せる景色が最高なので、楽しみにしていてください。それと、黒岳の標高の覚え方は『いくわよ(1984)』です」

もう何度も登っている山口さんがガイドのようにこの山の魅力を教えてくれる。いよいよ頂上に着いた。時刻は10時をまわった頃で、風は強かったが天気は朝よりも回復し、晴れ間が射し始めていた。頂上の標識の向こうには見渡す限りの大パノラマが広がり、ここがカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)と呼ばれるのも頷ける。例年よりも1週間くらい紅葉が遅れているとは聞いていたが、それでも十分すぎる景色だった。

「ほんとコスパのいい山だな」と山口さんがつぶやく。たしかにリフトを降りて平均1時間半も歩けばこんな別世界に来れるとは、なんて贅沢なんだろう。今日の行商はここからさらに先にある黒岳石室という山小屋まで足を伸ばすことにした。

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「9月の三連休は黒岳の紅葉のピークに重なるので毎年この時期に来ているのですが、例年は下の駐車場から販売が始まるんです。登山行程も人それぞれなので、登り始める前に買いたい人の列ができて、写真を撮ったり話したりしていると30分から1時間くらい経つんです。そうするとピークに着くのは11時過ぎで、石室まで行くのはもういいやってなるくらいだったんです。今年は紅葉のピークがずれちゃって例年より人も少ないし、なかなか難しいですね」

そうは言うものの、既に何十人もの登山者がクッキーを買い求めていたし、頂上を過ぎてからさらに客足は伸びていた。そもそもなぜ商品にクッキーを選んだのか訊ねてみた。

「運びやすいものとして考えた時にクッキーが一番でした。一口サイズで食べやすいし、日持ちもしてバリエーションも増やしやすいので総合的に良かったんです。それに安心で安全なもの、登山中にホッとするようなものが作りたかったので。でも来シーズンはパウンドケーキにしてみてもいいと思っています。リピーターの人もそろそろ飽きてきていると思うし(笑)」

『てくてく』の焼き菓子は、登山中にエネルギー不足を防ぐための“行動食”になるように考えられている。カリウム、カルシウム、リンなどのミネラル分を多く含んだきび砂糖を使用することで、消化吸収も緩やかになってエネルギーが長続きする。でも山口さんが行商を続けていくうえで大事にしたいと考えていることがある。それは何を売るかよりも、いかに届けるかだった。

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「みんな私のお菓子がどうしても食べたくて買いに来ているわけではないと思うんです。山で会えても既に売り切れていたり、同じ山にいても時間帯がちょっとずれるだけで会えなかったりするので、そういう希少性を私は提供しているんだと思います。だから売るものも必ずしも私が作ったものじゃなくていいと思うんです。たとえばお菓子を作るのは好きだけど販路に困っていたり、誰かに売ってもらいたいと考えている人がいたら、『今日はどこどこの〇〇さんが作ったお菓子を売ります』とアナウンスして行商するのもおもしろいかもしれません」

山口さんはさらにこう続ける。

「自分が一歩踏み出してお菓子売りの『てくてく』を始めたことで、大袈裟かもしれないけれど私の人生は変わりました。世界がすごく広がったんです。だからせっかくなら、『てくてく』の行商を自分だけのものにとどめず、どんどん変化させていって、みんながハッピーになれるおもしろいことに発展させていきたいんです」

それこそまさに「三方よし」の精神だと思った。売り手よし、買い手よし、世間よしという商売にとっての理想のカタチを追求する行商の本分を山口さんの言葉から感じ取れた。

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結局この日は黒岳石室を越えて、火口跡を望むお鉢平展望台まで行って引き返し、往復8キロの道のりを歩いて16時半にリフト乗り場まで戻ってきた。
この日担ぎ上げたクッキー200袋は、見事完売だった。

お菓子売りの『てくてく』
販売場所:北海道内の山
Instagram : @tekuteku_mountain