小商いのカタチ:TANUKI APPETIZING(東京都勝どき)
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article: Momoka Kuriyama
pictures : Yuya Okuda
スモールビジネス(=小商い)を始めること、それは生き方の選択と言っても過言ではない。
どこで、誰と、何をつくり、どのように商売をしていくのか……
小さな選択を繰り返す過程でそれぞれのお店には物語が生まれていく。
自分らしい生き方を選んだ人たちの"小商いのカタチ"をめぐる連載。
まだ日が昇る前の明け方6時すぎ、住宅街の中にぽつんと明かりの灯った長屋の前に静かに人々が集まりだす。「え? こんなところに?」それが多くの人が「TANUKI APPETIZING」に抱く最初の印象。朝7時の開店をめがけ全国からファンが集まり、その列はあっという間に1ブロック先まで…。
店があるのは、豊洲市場で知られる東京の勝どきというエリア。営業は週にたったの2日で、早い日には朝7時の開店からお昼過ぎには売り切れてしまうという、そんな幻のベーグルを作る木幡ご夫妻を訪ねました。
「朝7時から人々が絶えなく行列を作るベーグル店があるらしい」、そんな話をそこここで耳にしたり、この「小商いのカタチ」でも以前紹介した青果店ミコト屋やタネトの方々とも縁があると聞き伺った「TANUKI APPETIZING」。
一風変わった名前のこのベーグル店を営んでいるのは、木幡安(やすし)さんと早那子さんご夫妻。まだ東京都中央卸売市場が築地にあった頃の2016年から、ここ勝どきの小さな長屋でNYスタイルのベーグルと、季節変わりのベーグルサンドイッチを製造・販売しています。
あたりはまだ真っ暗なAM6時にオープン前の店の扉を開くと、まず目に飛び込んでくるのは色とりどりの個性豊かなサンドイッチの美しい断面たち。ショウケースいっぱいに、果物、野菜、たまご、あんこ、抹茶…と15種ほどがずらり。思わず「わあ」と声が出てしまう“萌え断”の感動に、多くの人がこの瞬間に長い列の苦労を忘れてしまうのだと確信します。
さらには、まるで夫婦漫才を見ているかのような軽快なかけあいで迎えてくれる二人の人柄。美しくアートのように洗練されたベーグルの印象とのギャップに、入店数分で口を開いて大笑い。まずはどうして勝どきに? そのわけを伺いました。
何色にも染まっていない街で店をしたかった
「この街にはもともとまったく知り合いもいないし、縁もゆかりもない場所でした。僕らも“勝どき”って聞いて、何も想像するものがなくイメージがわかなかったんです。当時有名なお店も一軒も思い浮かばなかったですし。でも逆に街に何の色もついてないから、ここだったらもしかしたら自分が街のカラーになれるかもしれない、そんなふうに思ったんです」と安さん。
店の物件を探す際、きっと多くがその街の賑わい具合や、周辺の集客力がありそうな他業種のお店の有無を意識するものではないだろうか。けれど安さんは、「初めから“人の色のついた街”だと、こちらが合わせていかないといけない気がしたんです。だから僕としては、勝どきは最高の場所だったんですけど、なんでこんなところに!? って周りの人に言われすぎて、逆に心配になっちゃいましたよ~」なんて、けろりと笑います。
「今となっては少しお店が増えたり、市場が移ってきたりしましたが、2016年の頃は、倉庫街のような風景が続き、長屋に労働者が住んでいるような静かな街でした。暇すぎて、来てくれたお客さんと1時間とか喋って1日が終わってしまって。週に5日お店を開けながら、大丈夫かな、と思ってました」
今の行列の姿からは想像もできない過去。人気に火が付いたきっかけを伺うも、「何かというのはなくて、徐々になんです。フードライターの方とかSNSとかでちょこちょこ取り上げてもらいましたが、実感としては本当にゆっくり上がっていって、今があると思っています」と安さんは言います。
朝のお店にこだわるわけ
「店はどんどん出てくるから特徴がないと埋もれてしまう。どこに特徴をつけていくかって思ったとき、まだ暗い早朝に、路地裏にサンドイッチがずらっとある風景を想像して、そんな幸せな風景はとてもいいと思いました。東京や神奈川のベーグル屋にはほぼすべて行ったけど、さすがにそんな店はなかったから。朝のお店でやり続ければいけるって、なんか確信がありました」
そう話す安さんでしたが、お店の外観には看板すら出されておらず、ここが何のお店なのかもわかりません。それについては、早那子さんも言いたいことがあるようです。
「看板を出してほしいって何度も喧嘩したんですけど、頑なにいやだって言われて。一度だけ“タヌキ”って書いた板を道路に出したけど、風で飛んで行って車に踏まれちゃいました…(笑)」
「ここ、何なんだろう? って場所を作って、目的を持って来てほしいと思っていました。並ぶのは少し苦労をかけてしまいますが、ここにいる数分でショウケースを見て少しでも明るく1日を始めてほしいなって。早起きして遠くから来るのって大変だから、たった1度しか来てもらえなくてもいいんです。ありふれた日常にちょっとしたスペシャルな体験をしてもらいたくて」
“看板もない得体のしれないワクワクするお店”。媚びることなく思い描く店の姿を貫き通すことで、今のお店の姿ができあがってきました。
自分の感覚を頼りに小回りが利くサイズで
「開店した頃は朝8時から週に5日開けていたんです。でも今は7時オープンで週に2日。営業の日は前日の夕方からキッチンに入り、夜なべしているので、たぶん豊洲の人より僕らのほうが早いと思う!(笑)」
ベーグルは低温で1日熟成して焼くため、仕込みに2日かかる。そして焼きあがるベーグルに、フィリングを挟んでいくのもワンオペのため、営業日は前日の夕方からずっと仕込みをし、そのまま朝のオープンを迎えているといいます。
「妻と2人でやれるサイズでっていうことは決めていることなので、この方法しかないというか…。よく休みの日何しているんですか? ってお客さんにも聞かれるんですけど、店を開けていない日もこのキッチンにいるんですよね、僕ら(笑)。でも、この自分たちのサイズが大切なことで。0~100まで自分たちの手でやりたいんです。原価にとらわれずリスクを背負って、やりたいことを自分で始めて、自分で終えられる枠の中で働いていきたいんです。極論、たった一人のお客さんのためにメニューを作ったっていい。作りたい、届けたいと思ったことを素直にできる範疇で店をやっています」
日常にたった1日でもスペシャルな日を
「自分もそうなんですけど、人ってテイクアウトの買い物だったとしても、店に入って、出るその数分でこのお店にもう一度来たいかどうかや、いい店だったと思えるかどうかって決まっているように思うんですよね。よほど不味いって、あんまりないと思っていて、食べる前だけど、店でどんな時間を過ごしたかで90%くらいは決まると思うんです。だから、おいしいものを作るのはもちろんなのですが、作ったものを一人ひとりのお客さんと顔を合わせて、過ごした時間が心に残ってもらえるように、そのときのお店のリズムを読んで手渡していきたいと思っています」
テイクアウト専門店のため、たとえ長い時間を並んだとしても、店で過ごす滞在時間はほんの数分。「お店を開けてから僕らは外に出られないので、どのくらい行列しているのか、何分並んでくださったのか、詳細まではわからないんですけど、たった数分でも1日の始まりにここがあったことで、日常のスパイスになるような、スペシャルな時間になれたらいいなっていつも思っています」
あたりが明るくなってきたAM7時。店の扉が開かれた瞬間から、1時間以上途切れることなく続くお客様の出入りの様子を遠くから眺めてみると、店の扉を閉めて出てくる人の顔はみんな、ほくほくと朝日に照らされて満ちている様子。
暗闇の中、お店から漏れるオレンジ色の光や、扉の先に並んだ、まぶしいサンドイッチの具材の色。取材前に降り立ったとき、何色でもなかった勝どきの街は、ベーグルの重みを感じながら歩く帰り道には、すっかり“タヌキ色”に彩られていました。“自分たちが街の色になれるかもしれない”。そう話していた木幡さんのことばは、8年たった今、しっかりと根をはり始めていました。
TANUKI APPETIZING
住所:東京都中央区勝どき4-10-5 としの荘103
電話:なし
営業時間:木・日の7:00~売り切れしだい終了
定休日:月~水、金
Instagram : @tanukiappetizing