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池田浩明[新麦コレクションの10年]

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Article:Takumi Saito

パンライターであり、パンの研究所「パンラボ」主宰の池田浩明さんが理事長を務める「NPO法人新麦コレクション(以下新麦コレクション)」が2025年設立10周年を迎えた。「新麦」とは製粉日から2カ月以内の小麦を指す。これは新麦コレクション会員である生産者、製粉会社、パン職人らによって、挽きたての小麦の風味の持続時間と流通タームとのバランスを考慮した末に定義付けられたが、小麦の風味は製粉した瞬間から変わりゆくため、2カ月という期間は消費者が口にする時、それが「旬なもの」であることを担保する指数としてある。8月の九州産小麦の収穫を合図に、東海・関東・新潟・東北と北上し、10月の北海道産小麦の収穫まで、新麦は季節の移り変わりに伴い各地で解禁されていく。

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北海道十勝「前田農産」にて

新麦コレクションは国産小麦の伝道師である。消費者はそのおいしさを発見し、職人の技術に感嘆し、生産者の仕事に感謝する。職人は新麦を用いて新たなレシピを開発するために、生産者や製粉会社とコミュニケーションを取り技術を進歩させる。生産者や製粉会社は、普段知ることの少ない自ら栽培・製粉した小麦の味を知り、仕事に対する誇りを高める。その循環、国産小麦の生産と消費を取り巻く熱狂こそが、日本の小麦自給率の上昇と持続可能性への第一歩となる。「さあ今年も新麦の季節だ」。池田浩明さんに新麦コレクション10年の活動と未来への展望を訊いた。

設立と波及

日本の小麦自給率は約18%であり8割以上は外国産の輸入に依存している。割合はアメリカ、カナダ、オーストラリアの順に大きい(農林水産省「令和7年度 麦の参考資料」)。外国産小麦の方がパンの膨らみのもととなるグルテン形成に必要なタンパク質含有量が国産小麦よりも多いため製パンにおいては扱いやすかった。小麦は水や湿気に弱い。日本の多湿気候下での生産の難しさ、生産量の不安定さも相まって国産小麦は長く製パンには向かないものとされてきた。しかし近年の国産小麦の品質向上と製パンに適した新品種の開発により、その需要が高まっている。

「ライターとして、日々様々なパンを食べていくと、原料である小麦に目を向けることが最も大切なことだと考えるようになりました。製パンに向いた新品種の登場により、2000年代後半ごろから、パン屋さんのプライスカードに品種や生産者の名前が記載されはじめ、パン職人が直接小麦畑やライ麦畑に行くという動きが増えてきました。それまでは外国産が中心だったので、パン作りの始まりは粉袋を開けるところから始まっていたのです。しかしパン職人が実際に畑を見て、生産者と会話をすることで、その思いや課題を知るというところからパン作りが始まるようになっていった。この動きをもっと推進させたいと考えました」

設立の前年、2014年に北海道産の新小麦を広める「小麦ヌーヴォー」がアグリシステムにより始動した。池田さんはイベント告知などでサポートをしており、プロジェクトにはパンライターとして交流のあったシェフたちも名を連ねていた。しかし彼らの顔つきはこれまでとは違って見えたという。国産小麦という共通の原料を使うことを通じて、生産者と製粉会社、パン職人、消費者が1本の線で繋がっていることに気がついた。

「十勝の小麦を用いてパンを作ることで地域を活性化させるという小麦ヌーヴォーの考え方に着想を得ました。これをオールジャパンでやっていくとどうなるのだろうと。そもそも15年ぐらい前は小麦の風味を求める人はあまりいませんでした。タンパク値やグルテンの繋がりは注目されていましたが、品種ごとの風味にフォーカスする発想があまりなかったように思います。新麦コレクションの設立にあたり、そうした中でも風味にこだわって小麦を栽培している生産者の方にお声がけをしていきました。業界でもいち早く有機栽培を行い、自家製粉で小麦を届ける熊本県菊池市の『ろのわ』さん。1899年創業、品種ごとの特徴を明記し販売されている北海道十勝市の『前田農産』さん。スペルト小麦をドイツから独自輸入し、日本で最初に栽培を始めた『大地堂』さんなどです。同様に小麦の風味や畑のテロワールに注目してパン作りを行っていた『365日』の杉窪章匡シェフ、『カタネベーカリー』の片根大輔シェフ、『BLUFF BAKERY』の栄徳剛シェフらも創設メンバーです。小麦生産者とパン職人、そして消費者が国産小麦について真剣に楽しむコミュニティを生み出したい。それが新麦コレクションの設立理由です」

新麦とは何か

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熊本県菊池市「ろのわ」農場見学

「新麦(しんむぎ)」という言葉は元々「新麦(しんばく)」と読み、業界内でネガティブなイメージが擦り込まれていた。池田さんはそのイメージを逆手にとった。

「獲れたての小麦は酵素活性が高く生地がダレたり、グルテンが十分に形成できない可能性があるため、製粉会社はしっかりと寝かせ、前年度のものとブレンドして製品にすることが通例でした。パン屋さんも『新麦に切り替わるから、ちょっと用心して仕込みしないと』というような意識がありました。しかし見方を変えれば、新そば、新米のように、期間限定という特別感がある。この希少性をプロモーションに活かすことができると考えました。現在のパン職人は毎日のようにレシピを変えていきます。水分を減らす、砂糖の量を減らす、手の動きを変えるなど細かな調整を繰り返し、昨日よりもおいしいパンを焼くために日々努力をしています。消費者もいつも同じパンを食べるよりも、行くたびにおいしくなっていくパンを食べるほうが楽しいはず。パンは生き物です。味がブレてはならないという工業的な考え方ではなく、小麦は大地の恵みであるという認識を広め、生産者、製粉会社、パン職人、そして消費者が国産小麦と共に歩み、成長していくというカルチャーを根付かせたいのです」

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新麦コレクションのホームページでは「新麦収穫前線」として地域ごとの新麦解禁日を提示している。収穫前線は8月10日に九州からスタートし、10月20日の北海道まで列島を横断する。各地域のテロワールが、個性豊かな新麦を育む。

「例えば九州と北海道では栽培時の気候が大きく異なりますよね。北海道の梅雨のない冷涼乾燥の気候は小麦栽培に適しています。アメリカやカナダの強力小麦に近い品種が生まれ、これらはタンパク質を多く含むためグルテンのつながりが良く、ボリュームのあるふわっとしたパンができます。風味もクリアでミルキー。九州は雨が多く温暖な気候ではありますが、そうした環境下に適応した品種が栽培されています。北海道のものより膨らみは出ませんが、しっかりとした食感があり、雑味とコクを味わうことができます。北と南、それぞれの代表的な品種を挙げると食パンやチャバタなどに使われることが多い北海道の『キタノカオリ』は程よい甘さがあり、引っかかりがなくスルッと食べられる。九州の『ミナミノカオリ』はスパイシーさや草っぽい香りがあり小麦の存在感を感じられます。さらに細かく言うと、生産者ごとの栽培方法や小麦に対する考え方の違いまでもが風味に現れます。新麦を味わうことで、各生産者がつくる小麦の個性を楽しむことに繋がるのです」

国産小麦、次の10年

新麦コレクションは今年設立10周年を迎えた。設立当初は数えるほどであった会員数も、生産者、製粉会社、パン屋、問屋など合わせて現在は300社を超える。特別な営業や広報活動はしていない。ただ国産小麦の素晴らしさを真摯に伝え続けることで、その味の「おいしさ」を求めて規模は自然と拡大していったと池田さんは語る。

「かつては“国産小麦でパンを作る”ということ自体が珍しいことでしたが、遺伝子科学と育種技術の発展によって小麦のゲノムが解明され、2000年に誕生した北海道の『春よ恋』以降は、外国産と変わらない品種が次々と生まれています。品質と生産力の向上により、流通規模が拡大したことが文化形成の観点からも大きいです。

また、新麦コレクションに参加されている方々の取り組みがビジネス的な成功を収めているということも挙げられます。その筆頭が『365日』さんです。すべて国産小麦、無添加、手作りというコンセプトを打ち出したところ大きな売上に繋がりました。その成功を見た他のパン職人の方々が、同様に国産小麦を用いたパン作りを始めていきました。『pain stock』の平山哲生シェフも“国産小麦で全然できる”という実感を得たことが、その打ち出しに紐づいたと仰っています」

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新麦コレクション主催「九州産小麦講習会」の様子
1枚目:上原力シェフ(TAK BAGERI MEL)/2枚目:森田良太シェフ(BREAD IT BE)
3枚目:松岡裕嗣シェフ(マツパン)/4枚目:平山哲生シェフ(pain stock)

新麦を通して製パン技術は進化していく。2025年9月30日、新麦コレクション主催の「九州産小麦講習会」が開催された。シェフがシェフへと惜しみなくアイデアと技術を披露していく。それは日本のパン業界、国産小麦の文化発展を願うものに他ならない。

「単にテクニックだけではなく、国産小麦でおいしいパンを作るためのインスピレーションを得たいというシェフが参加されました。講師として参加されたシェフの方々は何度も試作を繰り返し当日に臨んでくださった。例えば『マツパン』の松岡裕嗣シェフは、もち小麦を100%使ったパンを作るというチャレンジに取り組み、20回以上の試作を繰り返しました。もち小麦のでんぷんはひじょうに特殊なため、ふくらんでも焼成後にしぼんで、形が崩れてしまい、通常は30%くらいしか使えないのですが、卵白で形をキープするという新しいテクニックを披露してくださいました」

探究と挑戦がシェフのパン作りの原動力となる。新麦コレクションが生産者とパン職人を招致したイベントを多く行うことは、消費者に対する新麦の周知、職人同士の技術研究に加え、パン屋の課題解決にも貢献する。8月からの新麦解禁を日本の恒例行事にすることができれば、一般的に夏に売上が下がるとされるパン屋の屋台骨を支えることができる。

ではオールジャパンでの国産小麦文化の発展のために、新麦コレクションが目指すものは地産地消の促進か、あるいは全国のシェフや消費者が様々な地域の小麦を選択することのできる環境の整備か。

「両軸が必要です。第一義としては地産地消。ローカルを大切にすることで、同じ地域にいる人たちのコミュニティが形成される。シェフが生産者を訪れ、そこで得たものを消費者に伝えていくことで文化に生命が宿っていくと考えています。同時に北海道の人が九州産小麦を味わうといったことも大切です。ワインのように、自国のものだけでなく様々な地域のものを味わうことで、自分の住む街の個性を見つめ直せるように。

去年デンマークに行った際に、そこで見た景色こそが国産小麦の未来なのではないかと思いました。私たちが推進しようとしているフレッシュミルやローカルミルという考え方がコペンハーゲンではすでに当たり前になっているのです。デンマークの小麦畑では一つでも多くの生命を尊重し、鳥やイタチのような小動物が自然と畑にやって来ます。雑草は取らず、生態系のあるがままに委ねて小麦を栽培しています。そうして作られた小麦が街のパン屋へ直接届けられています。

農林水産省は2021年に『みどりの食料システム戦略』という新しい方針を掲げました。2050年までに有機農業の割合を25%まで引き上げるというものです。現在の割合は約1%。持続可能性に国を挙げて取り組む時代に、生産者と消費者の橋渡し役としてパン屋が果たす役割は大きい。新麦コレクションは、国産小麦に関わるすべての人々の活動を後押ししていく団体としてあり続けたいと考えています」

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<プロフィール>
池田浩明(Hiroaki Ikeda)
パンラボ主催・ブレッドギーク(パンオタク)・ブレッドコミュニケーター。NPO法人新麦コレクション理事長。メディア出演や講演、ベーカリーや媒体、企業の監修、小麦粉のプロデュースに携わる。朝日新聞デジタル「&w(アンド・ダブリュー)」にて『このパンがすごい!』他連載。著書に『パン欲』(世界文化社)、『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『Hanako特別編集 池田浩明責任編集 僕が一生付き合っていきたいパン屋さん。』(マガジンハウス)、『パン屋のトリセツ』(誠文堂新光社)、『パンビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)など。

池田浩明Instagram:@ikedahiloaki
新麦コレクションInstagram:@mugikore