マツパン 松岡裕嗣[誰が為の10年]
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福岡六本松の路地裏に2016年から営業を続けるベーカリー「マツパン」がある。オーナーシェフの松岡裕嗣さんは「おかわりしたくなるパン」を掲げ、毎日60種類以上を焼き続ける。有名になりたいわけでも、店舗を増やしたいわけでもない。ただ、作り続ける。そのために何をしてきたか、何に悩んできたか。10年の軌跡を辿る。
独立を決めた理由
松岡さんがパン職人を志したのは8歳の頃、ショッピングモール一角の小さなパン屋がきっかけだった。黙々と動く職人の手に惹かれ、近所のマンションで開かれていたパン教室に通い、自分でも生地をこねるようになった。高校卒業後、友人の母親に背中を押され18歳で業界に入る。天神の大手店舗を経て、「パン・ナガタ」で3年、「パンストック」でスーシェフとして5年を過ごした。
2016年2月、30歳で福岡市中央区六本松に「マツパン」を開いた。「子どもが生まれたタイミングです。大きくなる前に、生活基盤を整えたかった」。独立は以前から公言しており、まわりも既定路線として受け止めていた。不動産屋の紹介でコーヒー屋を開きたい若者と引き合わされ、当時では珍しいパン屋とコーヒー屋が空間を共にするスタイルで店を出した。六本松に特別なゆかりはなかった。かつてこの地には「ふらんす館」というパン屋があったが移転していた。その空白を埋めるようにマツパンは根を張った。
師匠とその影からの脱却
開業当初、松岡さんが使っていたのはスラントミキサーだった。餅つき機に似た片手アームの機械で、グルテンがほとんど形成されない、ボリュームが出ない。ボリュームが出ないということは重くなる。重くならないようにするにはどうするか。その逆説の中から独自の製法が生まれていった。重いが軽い。当時の業界には異質に映るパン。しかしそれは、師匠であるパンストック平山哲生シェフとの緊張関係の中から生まれたものでもあった。「平山さんと同じパンを作ると怒られる。だから違う方向を探しました。それが良かったんだろうなと思います」。独立直前には平山シェフから突きつけられた制約もあった。「当たり前のようにミキサーやオーブンは同じものを使わせていただこう、デザイナーの方もご紹介いただこうと思っていました。今思えば、師匠なりの弟子への突き放し方だったのかもしれません」。結果として、内装を自分たちでこしらえ、知り合いに頼んでロゴを作った。それがマツパンの顔になった。
しばらくして縦型のミキサーに切り替えた。「ようやく普通のパンが作れるようになると、今度は普通のパンを作ることが楽しくて」。機械が変われば生地が変わり、課題も変わる。グルテンをどう扱うか、麹をどう使うか。デンマークで出会ったサワードウピザに触発されて始めた製法は、今や松岡さんの得意分野のひとつ。国内外の講習会でその技術を教える立場にもなった。
マツパンのコンセプトは「おかわりしたくなるパン」。塩分濃度を下げ、麹を使った発酵で胃腸への負担を減らす、食べ疲れしない生地を追求してきた。自分のパンに自信を持てるようになったのはつい最近のことだという。きっかけは「シニフィアン・シニフィエ」志賀勝栄シェフとの講習会にて「君は(パンを)ちゃんと分かっているから、胸を張って話しなさい」と言われたことだった。それまで抱えていた自信のなさが、少しずつ変わっていった。「2、3年前まで本当に自信なかったです。10年越しで、ようやく自分のパンに胸を張れるようになってきました」と言う。
経営と表現
開業から10年、これまで松岡さんは外部への露出をなるべく抑えてきた。支えてくれた創業期のスタッフが、メディア露出によるイレギュラー対応や急な忙しさを避けたいというのが理由だった。「嫌だっていうスタッフがいるなら無理にやる必要はない。しかも初期メンバーとかになると友達とかじゃないですか。それを無碍にはできなかった。それに僕、あんまり社長らしくないじゃないですか?」と自嘲気味に言う。危機感はあれど、なかなか動けなかったと。初期メンバーの退職を機に、メディア出演、講習会への参加、業界内のネットワーク構築を加速させた。海外での講習会に呼ばれると、参加者がSNSで発信し、間接的なPRの効果を実感するようになった。「人の記憶の片隅にある回数が増えていくと、お店とお客さんが友達のようになっていくと思うんです」。平山シェフから繰り返し言われてきた「記憶に残ること」の意味が、今になって腑に落ちてきている。
「僕、全然経営してないです。ただ夜中に来て、パンを作って、帰るだけです」。原価の上昇には都度対応するが、数字を細かく管理しているわけではない。松岡さんが語る課題はシンプルだった。「お金ですね。でも未来への投資だと思っています」。しかしお金以上に切実なのが、横の繋がりの薄さだという。「狭い世界でしか生きてなかったんで、繋がりが少ないなと感じたんです。外に出るようになって、居酒屋で隣り合った料理人、肉屋、コーヒー屋、そういうコミュニティの中から仕事が生まれることを実感しています」。
店を増やす意思は今のところない。ただ10年経ったら2店舗目を考えた方がいいと先輩から言われていることは常に頭にある。「動き出さないと飽きてくるよって。でも今は2店舗目よりも、1店舗目をどう維持するかを考えたいんです」。古くなったレシピが業界を均質化していることへの危機感もある。原料を変える。見た目を変える。それだけでは足りない。レシピを根本から変えていくことが、次の10年への挑戦だと見ている。「僕たちパン職人は、経営者である以前に表現者だと思う。もう一歩先に行くためには、表現で経営をしていくというか、自分らしさというものを、もっと出していかなきゃいけない」。
今日は楽しむ日なので
2026年3月31日火曜日、定休日のマツパンに午前2時から明かりがついていた。この日、「WAKUMUSUBI」の濱北克仁シェフ、「パンや 日乃光」の永松晃シェフ、そして松岡シェフの3人が、問屋の廃棄予定原料を使ってパンを製造し、自ら販売するチャリティーイベントを開いた。「廃棄を通して新しい材料との出会いがあると、そこから普段は考えないところまで深く考えます。そうすると小さな引き出しが増えていく。レシピの視野が広がります」。売上は全額を子ども食堂に寄付することに決めた。シェフの間で定めたルールは2つ。普段は販売していないパンを作ること。それを250円均一で販売すること。「楽しいことをやりたい」という飲み会での一言から、月初めに話し、月末には実行していた。
当日、何を作るか決めているかを尋ねると、松岡さんは「やりながら考えます」と言った。シュレッドチーズとチェダーチーズを混ぜた高加水のパン、もち小麦を混ぜ込んだピザなど、いくつかの方向が頭の中をめぐっている。通常営業ではパンを作る楽しさを味わいにくいという話が、3人の間で共通して出た。「日頃はルーティンワークなので、パンと向き合っているようでいて、お店のことや他のことを考えています。でもこういったイベントでは『今、発酵してるのか? まだダメなのか?』と、パンとの葛藤が生きている。自分の知識と経験がものを言う」。
この日、松岡さんは10種類約280個、濱北さんは16種類約380個、永松さんは10種類約300個を製造した。隣人である「COFFEEMAN」マスターの江口崇臣さん曰く、行列の長さはマツパンオープン以来とのことだった。シェフたちは「販売スタッフの大切さを痛感します」と言いながら、15時まで売り続けた。3店舗合わせた売上は約20万円。営業が終わると、揃って区役所へ向かった。子ども食堂への寄付手続きを確認するためだ。
成形中の松岡さんに将来の野望を尋ねると、しばらく考えてから言った。「おじいちゃんになった時に、パンで繋がった仲間内でお酒を飲むことですね(笑)」。有名になることには興味がない。ただ新しいお店がどんどんと生まれる街の中で、埋もれないために挑戦をする。では、お店を営む醍醐味は何か? そう訊くと迷わず「パンを毎日作れることですね」と答える。次のイベントで何を作るか、季節の素材をどう使うか、夕食のあの味をパンに落とせないか。頭の中は次に向かっている。「10年という歳月に個人的な達成感はないんですよ」と言いながらも、お店の話になると、時折目を潤わせた。その手は動き続けていた。