ACRE 鳥丸奈美・鈴木彩香[小さな幸せを耕すように]
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Article:Hiroyuki Funayose
Pictures:Mitsu Watanabe
心地よい風が吹き抜ける、6月の晴天。かつてはポーランド系移民が多く住む静かなエリアだったアメリカ・ニューヨーク州ブルックリンのグリーンポイントは、ここ10年でジェントリフィケーション(地域の高級化)が進み、最先端のカルチャーや食のトレンドが交差するエネルギッシュな街へと変貌した。
そこにあるのが、カフェ・レストラン「ACRE(エーカー)」だ。店外のテラス席からカフェカウンター、ゆったりとしたテーブル席を抜け、一番奥のテラス席へと、開放的な空間が続いている。
この場所を立ち上げたのは、創業者であり最高経営責任者(CEO)の鳥丸奈美さんだ。現在の最高執行責任者(COO)の鈴木彩香さんとともに、立ち上げ当初から細やかな店づくりや日々の運営を手がけてきた。そんなACREの看板メニューは、高級和食でもスシロールでもなく、日本の日常に根差した「お弁当」だ。
家賃や物価の高騰が著しい過酷な環境下で、あえて手間暇のかかる手作りの日本食を提供するACRE。日々の仕入れや店舗運営にどのように向き合い、どのような価値観を大切にしているのか。言葉や文化の壁を越え、異国で奮闘する彼女たちのリアルな声をお届けする。
異国での船出と店名の由来
「ACRE」という店名は、土地の面積を表す単位「acre(エーカー)」に由来する。実はこの名前は、もともとこの場所にあった前身のレストランから引き継いだものだという。
「以前ここでニューアメリカンレストランを営んでいた韓国人ご夫婦が帰国することになり、私に『お店をやってみないか』と声をかけてくれたのがすべての始まりでした。店名を変えることも考えましたが、『ACRE=土地の単位』という響きがすごくしっくりきたんです。この小さな1エイカーの場所から、私たちが土を耕し、種をまき、新しい芽が出て、お客様やスタッフと一緒に育っていく。そんな豊かな場所にしたいという願いを込めて、この名前を残すことにしました」(鳥丸さん)
バックグラウンドも異なる二人がこのニューヨークで共に店を立ち上げたのも、不思議な縁だった。
鳥丸さんは宮崎県出身。東京でモデルとして活動した後、26歳で単身ニューヨークへ渡った。現地では手編みのニットブランドを立ち上げ、6年ほど運営した後に飲食の世界へと足を踏み入れた。一方の鈴木さんは長野県出身。15歳でバレエダンサーとして世界を巡った後、16年前にニューヨークへ移り住み、コーヒーのロースタリーやアイスクリーム会社などでホスピタリティの経験を積んできた。
もともとルームメイトであり、「広かった自宅のキッチンでよく一緒にご飯を作っては友達に振る舞い、いつかこういうことができたらいいねと語り合っていた」という二人がACREを立ち上げたのは2020年のこと。奇しくも新型コロナウイルスが世界を襲い、ニューヨークは未曾有のロックダウンに見舞われた真っ只中だった。
「店内での飲食は一切できず、必然的にテイクアウト専門でスタートせざるを得ませんでした。最初は自分たちの知識と経験の中で、確実に美味しいものを提供できる『お膳スタイルの定食』をやろうと考えていたんです。でも、テイクアウトのみでの営業になったため、それらを一つの箱に詰め込んだ『お弁当』という形に行き着きました」(鳥丸さん)
だが、船出は決して順風満帆ではなかった。オープン初日の売上はわずかだった。当時のグリーンポイントは今ほど人が歩いておらず、メインストリートからも外れた場所にあったため、客足がまばらな日々が続いた。それでもSNSでの大々的な宣伝は一切行わず、ただ目の前のお弁当作りに没頭した。転機が訪れたのはオープンから1年が経とうとしていた頃だ。
「地域の方々の口コミでじわじわとお店のことが広まって、気づけばたくさんのお客様が来てくださるようになっていました。ときにはお店がキャパオーバーになるほど混み合って、『オーダーを止めて!』と叫びながら、厨房で必死に唐揚げを揚げ続けたこともあったんです。そのときの光景は、今でも鮮明に覚えていますね」(鈴木さん)
地道に積み上げてきた美味しさと手作りへのこだわりが、ニューヨークの人々の心を捉えた瞬間だった。
「主婦目線」が叶える手作り弁当と環境への配慮
お昼が近づくにつれ、静かだった店周辺は徐々に活気を帯びてくる。12時には、主役である手作りのお弁当をはじめ、パンやカフェメニューを求める人々で長蛇の列ができていた。並んでいるのは、20代から40代の女性客を中心に、男性客の姿も少なくない。メニュー表に目を落とし、どれにしようかと楽しげに待つニューヨーカーたちがいた。
そんなACREの最大の特徴であり、強みとなっているのが"手作り"の徹底である。ニューヨークには星の数ほどレストランがあるが、ACREほど真摯な弁当作りに取り組んでいる店はまれだという。
「プロの料理人が私たちのオペレーションを見たら、きっと驚くはずです。経験ゼロからのスタートで、厨房の回し方も手探りでしたから。でも、私たちはプロではなく主婦です。主婦だからこそ、愛情表現である手間暇は絶対に惜しまないし、一見非効率に見えるその手間を、いかに効率よくこなすかという主婦の知恵が私たちの強みになっています」(鈴木さん)
既製品のソースやドレッシングは一切使わない。お弁当に入るすべての要素に、彼女たちの細やかな心遣いが込められている。看板メニューである「唐揚げ弁当」(CHICKEN KARAAGE BENTO BOX)は、その最たる例のひとつだ。
「唐揚げのマリネ液は一から手作りし、その中に自分たちで仕込んだ醤油麹をブレンドしています。そこに丸二日間お肉をじっくり漬け込むことで、驚くほど柔らかく風味豊かな唐揚げに仕上がるんです。トップにかけるマヨネーズも、醤油麹とからしをブレンドしたオリジナルです」(鳥丸さん)
もう一つの人気メニュー「西京味噌サーモン弁当」(SALMON SAIKYO MISO BENTO BOX)も、白味噌ベースに醤油麹をブレンドしたオリジナルの西京味噌にサーモンを2日間漬け込んで焼き上げている。
一つの箱の中に、良質なプロテイン(肉や魚)、彩り豊かな野菜、丁寧に炊かれたご飯が美しく配置されたお弁当のバランスの良さは、多国籍で健康志向の強いニューヨーカーたちにも確かな支持を得ている。
「私たちは、ただ単にお弁当を完成させるのではなく、一つひとつのおかずに真心を込めて丁寧に作っています。その想いが強いからこそ、お客様にちゃんと伝わっているのだと感じます」(鈴木さん)
こうしたこだわりの詰まった料理を、皿ではなくあえて紙製の弁当箱で提供するスタイルをとっているのは、コロナ禍でのオープンが背景にある。
「当時はすべてテイクアウトのみだったので、それがそのまま今のベースになっています。食べきれなくても蓋をして持って帰れたり、そのまま公園で食べたりと、カジュアルな形で日常生活の中にお弁当が定着してほしいという思いもありました」(鳥丸さん)
彼女たちが選んだパッケージにも強いこだわりが隠されている。使用しているのはプラスチックではなく、環境に配慮したコンポスタブル(土に還る、肥料になる)素材の紙箱だ。
「お店のナチュラルな雰囲気に、真っ白なプラスチック容器は合わないと感じたんです。そのため、温かみのあるクラフト紙のような色合いで、かつ環境に優しいものを選びました。ニューヨークは環境意識が非常に高く、週末には大きな公園でコンポスト(堆肥化)の回収が行われていたりします。ゆくゆくは私たち自身でコンポストを運用し、そこから生まれた肥料で野菜を育て、再びお店で提供するという循環ができたらという夢も持っています」(鳥丸さん)
ニューヨークでのリアルな店舗運営と、仕入れの探究
強いこだわりと理想を掲げる一方で、世界で最も物価の高い都市のひとつでの店舗運営は、きれい事だけでは済まされない過酷な現実との戦いでもある。
「日本の飲食店の方々が聞いたら驚くかもしれませんが、ニューヨークでは食材の価格が全く知らされないまま、ある日突然跳ね上がっていることが日常茶飯事です。卵の値段が信じられないくらい高騰した時も、業者からの事前のアナウンスはありませんでした。毎日、毎回の納品伝票をチェックして自己防衛するしかないんです」(鳥丸さん)
仕入れの現場でも、日米の文化の違いに直面する。日本の業者は担当者が足繁く顔を出し、新商品のサンプルを持って丁寧に提案してくれるなど、細やかな関係性を築いてくれる。しかし、ニューヨークの業者は良くも悪くも大雑把だ。届く食材のクオリティが一定ではないため、例えば芽キャベツひとつとっても、ある日は極小、次の日は巨大、切ってみたら中が傷んでいるなど、不良品の返品や返金処理に追われることも多いという。現場の配送ドライバーにしても、破れた袋を平気で置いていったり、検品時に別の方向を向いて全く集中していなかったりする。
「日本は異常なほどサービスや品質が安定していますが、こちらはドライな部分があります。ただ、その分、日本では出会えない多国籍で面白い食材に出会えるチャンスも多く、メニュー開発のインスピレーションにもなっています」(鳥丸さん)
そうした大雑把でありながらも刺激的な環境だからこそ、確かな品質を担保するための仕入れ業者選びには細心の注意を払う。
「日本のプロダクトに関しては現地の代理店(ベンダー)と契約して仕入れていますが、それ以外は足で探しました。最初は勝手が分からなかったので、レストランをやっている友人に情報を聞いて手探りで業者を開拓していったんです。今では、野菜は現地のレストラン業界で有名な業者から毎日フレッシュなものを配達してもらい、お肉はローカルの精肉店を使っています。お弁当に欠かせないサーモンなどの魚は、6年間ずっと変わらず取引させてもらっている信頼できる日系の鮮魚店から直接仕入れています」(鳥丸さん)
業者を選ぶ際の基準も極めて現実的だ。毎日フレッシュなものを配達してもらえることを大前提としつつ、無駄なコストを抑えるため、自分たちの毎日の注文額が、業者の設定するミニマムロット(最低注文金額)にしっかりと届くかをシビアに見極めている。
さらにスタッフの人件費も課題だ。終わりの見えないインフレにより、ニューヨークの人々の生活コストは上がり続ける。それは外食価格にも反映され、ディナーとなれば一人120ドル~130ドル(約2万円弱)は珍しくない。そこに20%のチップも加わる。
「日本に帰るたびに、日本の飲食店のクオリティの高さと安さに驚愕します。最近は日本でもランチの価格が上がってきたと聞いていますが、まだまだ安すぎると感じます。あれだけのサービスを維持してどうやって利益を出しているのだろうと。ただ、私たちもニューヨークで生活し、高い家賃を払い、スタッフに高い賃金を支払わなければなりません。ベースとなる生活コストが高いからこそ、商品の価格も上げざるを得ないのです」(鳥丸さん)
そんな厳しいコスト環境の中であっても、彼女たちは自分たちの譲れないラインを明確に持っている。
「お米は日本の国産米を使用し、お砂糖もキッチンで使うものはオーガニックケインシュガー(有機さとうきび糖)など、血糖値が急激に上がらないようなものを選んでいます。もちろん、カリフォルニア米を使えばもっと安く抑えることはできます。日本から食材を輸入すれば、送料も関税もかかり、原価は跳ね上がります。それでも、私たちが目指す『日本の美味しいご飯』を提供するためには、日本の国産米や日本の調味料がどうしても必要不可欠なんです」(鳥丸さん)
会社として運営し、利益を出してスタッフの生活を守っていくためには、理想だけでは立ち行かない。どこにこだわり、どこで折り合いをつけるのか。自分たちのやりたいこととビジネスのバランスを常に自問自答しながら、彼女たちは決して安易な妥協を許さず食材選びに向き合っている。
スキルより「心の温度」 チームに魔法をかけるマネジメント
ニューヨークの人材市場は流動性が激しい。特に飲食業界では人の入れ替わりが日常茶飯事であり、昨日まで働いていたスタッフが急に来なくなるといった話も珍しくない。そんな環境下にあって、ACREの厨房は驚くほど穏やかで、スタッフ同士の仲が良く、温かい空気に満ちている。その秘密は、彼女たちのユニークな採用基準とマネジメントにある。
「面接で優先して見るのは、その人が『心があたたかいか』『優しい気持ちを持っているか』という人間性の部分。飲食業での経験やスキルがないことは、全く問題にしません。包丁の握り方や料理のテクニックは、私たちが教えれば必ずできるようになります。でも、ホスピタリティや思いやりの心、他者をハッピーにしたいという根本的な優しさは、あとから教えようと思ってもなかなか教えられるものではないからです」(鈴木さん)
スキル不足のスタッフであっても、温かい心を持っていると判断すれば採用する。逆に、どれほど華麗な経歴や高いスキルを持っていても、その根底に愛情が感じられなければ採用は見送るという。
こうした彼女たちのマネジメントの根底には、ニューヨークという街、そしてアメリカの文化から受けた影響も大きい。日本では「愛」や「幸せ」といった言葉をストレートに表現することは気恥ずかしいとされることが多い。しかし、アメリカでは日常的に「I love you」が飛び交う。
愛情を持って接すれば、スタッフもそれに応えてくれる。自分が大切にされていると感じるスタッフは、自ずとお客様にも愛情を持って接するようになる。この愛の循環こそが、ACREをACREたらしめている大きな強みなのだ。
取材の終盤、「これまでやってきて一番良かったと感じることは何か?」という問いに対して、二人はこう答えた。
「ご飯を食べて、お客様が心底嬉しそうな顔をしてくれた時、泣きそうになるくらい『すごい仕事をしているな』と実感します。それに加えて、今のチームに出会えたこと。私たちがどれだけ必死にこだわりを持っていても、一人では絶対に実現できません。同じ熱量で、同じように愛情を持って働いてくれる主婦やスタッフたちがいる。この素晴らしいチームの光景を見るたびに、本当にやってきて良かったと心から思います」(鳥丸さん)
「美味しいご飯を食べると、それだけで幸せな気持ちになりませんか? その日、職場で嫌なことがあったとしても、『ACREの美味しいお弁当を食べよう』と思ってもらえたら、少しだけ機嫌が良くなる。そんな日常の小さな小さな幸せのお手伝いができること。それが私たちの喜びです」(鈴木さん)
日本の飲食業界も今、未曾有の高騰や人材不足にあえいでいる。日々の業務に追われ、効率化やコストカットが叫ばれる苦しい状況は、海を越えたニューヨークでも同じだ。そんな過酷な環境下で、あえて非効率を愛し、心の温度を何よりも大切にする彼女たちの姿は、飲食業が持つ本来の温かさを体現している。
「愛と感謝。結局、この世の中はそれに尽きると思います」
そう笑い合う彼女たちの表情には、確かな誇りとしなやかな強さが滲んでいた。
ACRE
所在地:64 Meserole Ave , Brooklyn, NY 11222
営業時間:カフェ:8:00~17:00(毎日)
キッチン:月~金 11:00~16:00 / 土・日 10:00~16:00
Instagram:@acre_nyc
HP:https://www.acrenyc.com/