MOROPAIN 諸永裕士[新しい夜明け前]
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福岡市南区市崎の住宅街に「モロパン」はある。朝7時、まだ人通りのまばらな路地に焼き立ての香りが流れ出す。2014年に築古の物件で開業し、2021年に同区画内へ移転。移転初日の朝、店の前には200人ほどが並んだ。今年開業から13年目を迎える。国内外での講習、海外出店、スイーツの新業態......傍から見れば、諸永裕士(もろながゆうじ)さんは押しも押されもしない人気店のオーナーシェフだ。しかし厨房で一人、仕込み作業中に発せられた言葉の端々には、華やかさとは裏腹の、迷いと疲れと葛藤、そして再び動き出そうとする熱があった。
波乱万丈の10代
厨房には125前後のBPMで構成されたオリジナルのプレイリストがかかっている。「僕、クラブミュージックが好きで、もうガンガンです。キックとベースを感じながらパンを作ってます」。スタッフが出勤する前の時間は、諸永さんにとってはもはや趣味の時間なのだという。午前0時に起き、さっと身支度を済ませ、1人で仕込みを始める。等間隔にやってくる派手なドロップが厨房を満たす中、彼の表情や所作は硬質なビートのように淡々黙々としている。やがて4時ごろにスーシェフの永田輝(ながたひかる)さんが合流し、7時に店が開く。
諸永さんは自身の生い立ちを「波乱万丈だった」と振り返る。佐賀県みやき町の小さな家で育った。母は夜の仕事の心労から入退院を繰り返していた。高校時代にはアルバイトを掛け持ちし、生活費を稼いだ。授業中が睡眠時間だった。元々65近くあった偏差値は、環境が悪化するにつれて50を切った。「先生には怒られるけど、『うるさいな。こっちは生きるのに必死なんだよ』って思ってましたね」。同じくアルバイトをしていた姉弟とシフトを確認しながら、家事を分担して生活した。
大学には行きたかったが行けなかった。「福岡で活躍しているオーナーシェフってみんな大卒なんですよね」とおどけてみせる。人より早く社会に出ることになった諸永さんの中には、屈折とも呼べる感情が芽生えていたのかもしれない。「友人とは仲良くやっていましたが、『俺はみんなとは違う』という意識が常に心の中でありました」。友達の家に遊びに行くとお母さんがおやつとジュースを持ってきてくれる。その光景に覚えた違和感は、いつしか人とは違う生き方でいいと言う自信に肯定されていく。
終電までパンの話をした
幼い頃から人の手でものを生み出す職業に憧れがあった。高校卒業後、レストランに勤めたが環境が合わず2年ほどで退職。元々パンが好きだったこともあり、アルバイトに選んだのがドンクが展開する「福岡ジョアン」だった。「パン屋では次の日、『仕事だな嫌だな』って思うことが一度もなくて、これなら続けられると思ったんです」。そのまま正社員となり、5年ほど経って東京へ転勤するが、そこで初めての挫折を味わった。
「先輩たちの、『おいしいパンを作るんだ!』という意識が凄まじかったんです。当時の店長を慕って集まった職人たちは、朝から晩までひたすらパンの話をしていました。1分1秒を惜しんでパンに没頭する。『なんなんだこの人たちは......』と圧倒されっぱなしで、最初の1年間は正直しんどかったです。自分では到底この人たちには太刀打ちできない。何も役に立つことができない......ああ、そうか。自分はパンを"その程度"までしか追求してこなかった人間だったんだなと思い知らされたんです」
本人は自分の性格を負けず嫌いだと語る。東京での修行中は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く家に帰った。学生時代と異なり、確固たる信念の元では日中の眠気も苦痛に感じなかった。今まで以上に直向きにパンと向き合うようになると、やがて厨房の熱中に、自分の居場所を見つけるようになる。
「例えば同じ配合でも、パンは生き物だから、焼き上がったパンには作り手がどのような性格なのかが表れる。パンに作り手のすべてが包み隠さず出ることを知りました。繰り返しの毎日のようでいて、少しずつ違うパン。少しずつ変わっている自分がいる。先輩たちに食らいつきながら、パンについてひたすら考えると、自分の中のパンに対する考えを口に出せるようになった。すると次第に先輩から認められていくようになって、それが嬉しかったですね」
当時の仲間の多くは独立に成功した。諸永さんは4年の東京修行の後、博多阪急店でチーフを2年務め、32歳で独立した。
朝のパン屋であること
地域を絞って物件を探すうち、大きな古民家と出会った。店舗デザイン、厨房設計は自ら図面から起こした。
「当時は単にお金がなく、やむを得ずの素人仕事でしたが、移転したここでもお店は自分でデザインをしました。パン屋をやる人はパンの技術だけじゃなく、様々なことに対する感度というか、センスも同時に磨いていかないと、お客様に選ばれるパン屋作りはできないと思います。お店にもパンにも、"シェフの色"って明確に表れると思うので」
2014年、「MOROPAIN」開業。しかし当時のことはあまり覚えていないという。「土日はぽつぽつとお客さんが来たかなぐらいで、とにかくお客さんが来ませんでした。ずっと百貨店で働いてきたので、住宅街の個人店は勝手が違った。正直、見通しが甘かったです。当たり前に人がいる場所でしかやってこなかったから」。新店紹介のようなかたちで2、3カ月に1度ほどのペースで地方テレビ局の取材が入り、その波が2週間ほど続く。それを繰り返して最初の2年を凌いだ。
「どんな繁盛店の人でも開業から数年は苦しみを味わっていると思います。その当時の思いや悔しさを、日記に綴り噛み締めていました」。モロパンはオープン時からスタッフを多く抱えていたため、売上に対する人件費の負担が大きかったという。一方でスタッフがいたからこそ、苦しい時期を乗り越えられたと振り返る。
午前0時に起床し、80種類以上のパンを作り、朝7時に開店する。多くのパン屋が開店時間を後ろに傾ける時代に、諸永さんはあえて逆行する。
「夜、街のみんなが寝静まる頃、1人すくっと起きて黙々とパンを作る。朝、みんなが起きる頃、パンの香ばしい匂いが街に広がる......なんかもう最高じゃないですか」
「まるでサンタクロースみたいですね」と水を向けると、
「どうですかね(笑)。でも、朝から人に幸せを与えることができる仕事って、すごいことだと思うんですよ。遠くからパン好きが来るお店じゃなくていい。この街に住んでいる人たちのためにパンを焼きたいんです」
パン職人の成功
海外との縁は10年ほど前に始まった。台湾の業者が福岡のパン屋を巡るツアーを組み、その中で「あなたにパンを教わりたい」と請われた。台湾を皮切りに、以降、韓国、マレーシア、タイ、香港でも定期的に講習会を行う。
諸永さんは海外の職人たちはパンに貪欲だと語る。日本のパンはコンテスト文化からやや離れ、地域に根ざしたパン作りへと軸足を移しつつあるが、海外では今もコンテストで活躍することが店舗の売り上げに直結するため、皆、技術を磨いて全力で臨む。
モロパンは香港店を出したが、2年近くでやむなく閉店することになった。
「正直、魂は削られましたね。僕の魂もそうだし、モロパンの魂も」
それでも後悔はないと明言する。
「やってよかったと心の底から思います。誰もが経験できることじゃないんで。距離がある分、頻繁に店へ行ったとしても、次の日のちょっとしたことで別の方向に進んでしまう。だから違うと思ったら違うと強く言う。海外のパンビジネスがどういうものか、学ぶことができたのは大きい」
スイーツパン事業の「MOROBAAU(モーローバウ)」も手がけている。同店への卸しで一定の利益は得られるが、スイーツ専門店で重視される"インスタ映え"などのSNSマーケティングは難しい世界だと隠さずに言う。「パンを作りながら、メールで講習会、香港店、バウと、様々な対応をしていく。特殊スキルを手に入れたなと思いますよ(笑)」。そう冗談めかす表情は、同時に一人のパン職人として、これからどうあるべきなのかを苦悶するようにも見えた。
「12年間、幅広い層に向けたパンを作ってきましたが、この街の人々は"もっと上のもの"を求めているんじゃないかと感じています。体に良いもの、パンを食べること自体が何かの貢献につながるもの。パンに可能性を感じる人が、この場所には少なくない気がします。僕は国内外で多くの仕事をしていく中で、"パンを作れる"という自信はつきました。しかし職人として次のフェーズに進みたいと思った時、成功が足枷になっているとまでは言いませんが、なかなかその一歩目を踏み出せない。これは成長痛に近いのかもしれません。だから自分のペースで自分のパンを作っている職人を本当に羨ましく思う。今の僕にはそれができないと思っていた。いろいろなことを急に変えるのは難しい......でも、ようやく漠然とした次の輪郭が見え始めたんです」
怒涛の数年間を乗り越えた今、モロパンは2027年より段階的な店舗の改装を計画している。その核となる"諸永裕士のパン"とは何かと尋ねると、慎重に言葉を選びながら言った。
「そもそもまだ"僕のパン"を作っているとは言えません。というか、一生たどり着けないと思います。でも強いて言うなら"気付けにいいパン"、ですかね。身体だけでなく、心の栄養になるようなパン。味でいうと、水分を含んだパンが主流の今、僕としては乾きにおいしさを見ています。パサパサって言うと変だけど、乾きも一つの表現だと思っています。乾いたときに立つ香りがある。一口目の衝撃より、食べ終えたあとにもう一つ食べたくなるパン。後を引く余韻。体に負担がない。噛みしめて出るおいしさも大切にしたい......」
リニューアル計画を立てていくうち、当初はMOROPAINのスペルからIを抜くことも考えていた。PAINではなくPAN。英単語で痛みを意味するそれすらも取り除きたいほどに、身を軽くしたかった。しかしそれは内省的な問題であり、心の底に潜れば潜るほど、自分の息が続かなくなることに気がついたという。一度、深呼吸をして、目の前にある景色を目を凝らして観察してみる。意識を外に向け始めてからは、"リニューアル"の意味も変わってきた。正午までに短縮しようとした営業時間は夕方まで逆に伸ばす。友人のバリスタと協働し、本格的にコーヒーを提供する。街の人々のため、そして今まで働いてくれたスタッフにとってその存在が誇りになるよう、住宅街の一角のパン屋としての、唯一無二を目指すと言う方針に切り変わった。
「最近考えているのが、プライスカードにパンの名前ではなく原料名と各産地だけを書くというもの。この地域のお客様に、1つ1つのパンを旅するように味わっていただけたらどんなにいいだろうって。だから今、これまでやってこなかった製法を学びに行きたいんです。日本各地の生産者の畑に足を運びたいんです。もうやっている人には当たり前のことなんですけど、そんな人たちのことがずっと羨ましかったんですよ、ずっと」
自身の名を冠した店は10年以上の時間をかけて地域住民に愛される店となった。シェフとしてはその技術と思想を求められ、国内外の講習会に招致され、業界内での地位を築いた。それでも未だ、成功とは呼べないという。では諸永さんにとっての成功とは何かを尋ねると、パンを焼き続けることだと即答した。
「いろんなことを経験したとしても、その先に辿り着く終点のような場所って、僕らパン職人には本質的に存在しないと考えています。僕の場合、比較的早い段階で、他者が得られない様々な経験を積むことができた。でも、それらは僕の感情や理解が追いつく速度に対してとても速かったように思います。先ほども言った通り、パンには自分が現れます。お店の規模や、自分の野心に対して、心が伴っていないと、パンを作り続けることは難しい。『何故作るのか?』という問いですね。僕はパン職人なので、そこが一番大事だと思います。永遠に辿り着けないかもしれない自分のパンに向かって、今日もパンを焼く。朝が来て、街に香って、お客様が買う。食べて『おいしいね』って、笑顔になる。次の日の朝もパンが焼けたら、それが循環を始める。明後日もそれが続くのなら、その状態は"成功"と呼べるんじゃないのかなと、そう思っています」
MOROPAIN
所在地:福岡県福岡市南区市崎1丁目2ー8 高宮マンション 1F
営業時間:7:00ー15:00(日月火定休)
モロパンInstagram:@moropain
諸永裕士Instagram:@moro_moropain