白羊寺 チョン・クワン尼僧[いのちの中道]
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Article: Takumi Saito
Interpretation: Lee Kyunghwa
Photography: Eisuke Asaoka
韓国全羅南道、長城郡。龍山駅からKTX(韓国高速鉄道)と在来線を乗り継ぎ、さらに車で川のほとりを抜けた先に白岩山の奥深くへと続く道がある。その先に現れるのが600年代に創建された古刹「白羊寺(ペギャンサ)」だ。双渓楼(サンゲル、楼閣の意)が映り込む湖と、樹齢500年を超える山一面のカヤの木。四季を通じて豊かな自然に包まれる、韓国仏教曹渓宗の五大叢林の一つにも数えられるこの寺院は、人の在り方を問い直す場所としても知られている。
韓国には寺院宿泊体験ができる観光プログラム「テンプルステイ」があり、白羊寺もまた観光客向けにそのサービスを提供している。訪れた人は瞑想、百八拝、数珠づくり、そして精進料理を通して、ゆっくりと自己と向き合う時間を過ごしていく。
チョン・クワン尼僧の暮らしは山と川の中にある。野菜を育て、精進料理を作り、器に盛りつけ、少しずつ食べる。住まいのある小高い丘の麓には小さな庭があり、それが彼女の畑だった。柵を設けず、猪や虫に食べられることを受け入れる。人の都合で早く大きく育てようとするのではなく、自然にありのままを委ねる。肉や魚、強い刺激を持つ野菜は使わず、その時に採れた野菜と、自ら仕込んだテンジャン(味噌)とカンジャン(韓国醤油)を用いて作られる精進料理は、健康的な食事やヴィーガンといった言葉では捉えきれない。五蘊(色・受・想・行・識)の元、身体と意識、そして外界とを一つに統合して考える必要がある。
チョン・クワン尼僧の食の哲学を学ぶべく、彼女に庭を見せて欲しいと乞うた。しかし取り合ってくれた弟子のケマ氏から返ってきたのは意外な言葉だった。
「いまは何も育てていません。雑草が生い茂っています」
チョン・クワン尼僧は17歳のとき、母の死をきっかけに出家した。それは喪失であると同時に再生の機会であったのかもしれない。何も持たず、誰にも告げずに一人で白羊寺へ入った。時は流れ、彼女の作る精進料理と哲学を求めてノーマのレネ・レゼピなど世界的なシェフが白羊寺を訪れるようになった。Netflixの『シェフのテーブル』に出演し、2022年には「アジア・ベストレストラン50」でアイコン賞を受賞した。以降、チョン・クワン尼僧は世界中から招致され、食の哲学を伝える旅をする。Instagramにはその軌跡が記録されている。世界中から注目が集まる一方で、手入れされていない庭。その対比が象徴的に思えた。ケマ氏からの連絡には「尼僧は春に向けて準備をしています」と続いた。庭もまた再生の途上にあることを知り、不遜にも尼僧自身の心と重なるようにも感じられた。取材日は2025年8月15日。小川と鈴虫のせせらぎが重なる夜に尼僧は笑みを浮かべ、話し始めた。
INTERVIEW
チョン・クワン尼僧[いのちの中道]
——まず初めに、あなたが料理をされるとき、何を考えているのか。あなたの内側でどのようなことが起きているのかをお伺いしたいです。
チョン・クワン 料理をするときは、使う食材の一つひとつに宇宙を込めていきます。その食材はどこで生まれ、どのような環境で育ったのか。どのようにして選ばれ、運ばれ、今ここにあるのか。春に食べるものなのか、夏に食べるものなのか。食材の持つすべての情報を紡いで宇宙を構築し、その全体を一皿に込める。そうすることで、食材と自分とが一つになることができます。食材が葉なら、自分も葉になり、葉が自分になる。そもそも宇宙と私たちはつながっています。そのつながりを思い出させてくれるものが食材であり、料理という行為なのです。
精進料理の実演①「エゴマの葉の和え物」
これはエゴマの芽先(若葉)です。エゴマは葉が茂りすぎると花が咲かないため、種子を多く残すためには下の葉から摘み取っていくことが大切です。エゴマはその葉はもちろんのこと、種子は粉末にも、油にもなります。葉を茹でて、天日塩(チョンイルヤム)と醤油を少し入れ、これを素手で和えることが重要です。手には現在のエネルギーだけでなく、今日までの私に至る、すべてのエネルギーが宿っています。それが食べる人にも伝わるように、素手で和えるのです。
——あなたの畑には柵がありません。豚や虫も入ってこられるような、まさに自然のままの状態です。ただ最近、その畑をあまり使えていないという話も聞きました。あなたの農業について教えてください。
チョン・クワン 在来種の種を蒔くと、自然環境の中で個体数がどんどん増えていき、それに伴って鹿などの野生動物も増えていきました。この山は岩山であるため、食材はあまり豊富ではなく、作物を育てようとして種をまくと、動物たちがそれを目当てに入ってきてしまうのです。そのため、一度土壌を変えて、土地を耕し直し、動物たちがあまり食べない作物、自然の中で育つ山菜のようなものを中心に、種の選び方や育て方を見直さなければならない状況です。
——それは農業の方法を変えようとしているということですか?
チョン・クワン はい。秋に畑を整え直し、来年の春に食べられるものを育てようと考えています。冬の間、この地域の気温はマイナス10度まで下がり、雪も膝の高さまで積もるため、そもそも作物を育てるのが難しい。しかしそうした環境で生き残る作物は、動物たちもあまり食べないようです。畑を手入れしているのは、料理をする際に必要な食材をすぐに採れるようにするためでもあります。
ここは山の中で、すぐ横に渓谷があり、野生動物たちが水を飲みに行く通り道になっています。私の畑はその水場へ行く道中にあるので、動物たちは行き帰りに畑に立ち寄って食べていくのです。育てた作物を一緒に分け合って食べること自体は構わないのですが、問題は、芽が出たばかりの段階で食べられてしまうことです。もう少し育てば「あなたも食べていいし、私も食べる」という良い関係になれるのですが、その前の新芽のうちに全部食べられてしまう。そのため、一度畑を休ませながら、別の種に切り替える必要が出てきました。今は、春からそのままにしておいた土から、勝手に育った植物の中で、動物が食べないものを観察しています。それは香りが強く、硬く、少し毒性のあるようなものです。例えば、日本でいうシソ(紫蘇)のような。自然の中で結果的に残ったものを、私たちが食べるのです。
精進料理の実演②「干し椎茸の甘辛煮」
『シェフのテーブル』でシグネチャーメニューとして紹介された、干し椎茸の甘辛煮をお見せします。椎茸がこの大きさになるには約5年かかります。肉厚なものはすぐに炒めてはいけません。厚いほど歳月をかけたものですから、エネルギーを十分に引き出すために、浸るくらいの水を加えます。ここに8年物のカンジャンとエゴマ油を加えます。カンジャンの塩気とエゴマ油の香ばしさを、肉厚の内側まで染み込ませるように炒めていきます。
——農業と料理は尼僧にとっては修行の一環でもあるのですか?
チョン・クワン 自分の畑を持つということは、自分の内側から湧き上がるエネルギーを自然に宿して動かしていくということです。エネルギーが一点に集中し、燃え上がるような状態になると絶えず集中が続きます。その心をもって、畑を耕し、料理をし、人と話していくと、エネルギーはより鍛えられ、やがて万物と通じ合うことができるようになる。人、動物、植物、目に見えないあらゆる存在、それらすべてが、私の修行の対象です。
この山の自然は、初めて来た人にはただの景色に見えるかもしれません。しかし、山の草木が日々姿を変えることを、その葉には小さな生き物たちが住んでいることを、私はすでにこの両目と心の目で何千回と見ている。ふと見た景色に対しても"いのち"を感じることができる。自分が感じることができると、人にそれを伝えることができる。よって農を営むことも修行、その心で育てた野菜を料理にして伝えていくことも修行。修行でないものは何一つとしてありません。すべての行為が修行なのです。
精進料理の実演③「さつまいもの葉の和え物」
これはさつまいもの葉です。春に植えたさつまいもが今盛んに伸びていますが、放っておくと葉ばかりが茂ってさつまいもが大きくなりません。大きく育てるために、途中で茎と葉を摘み取るのです。これを8年物のテンジャンで和えます。韓国における基本の三大調味料はカンジャン・テンジャン・コチュジャンです。コチュジャンは長く置くほど黒くなってしまうため、1から3年以内に使います。コチュジャンは調味料ではなく「食品」です。テンジャンにはごま油を入れません。ごま油の強さがテンジャンの発酵を殺してしまうからです。甘みを足すために、7年物の覆盆子(ポクブンジャ・野生ラズベリー)のシロップを加え、3年発酵の生姜のシロップも加えます。これらは実は初めて試みる配合です。どんな味になるかは私も今はわかりません。一緒に実験しましょう。
——この光復節の時期に、この問いを投げかけられること自体が、とても貴重な経験になると感じています。少し突飛な質問になるかもしれませんが、精進料理を食べることは世界平和につながるとお考えでしょうか。
チョン・クワン すべての考えや思想には、それぞれのイデオロギーがあります。時代の変化とともに、人々の考え方や価値観が異なるように、その国ごとの政治や宗教のあり方も違っていきます。それを無理に押し通そうとすると、欲望や執着が生まれ、対立を引き起こす。しかしそれらはすべて、外側にある条件や関係によって生じているものなのです。
現象(表面上)の世界においては、私たちの心と外の世界とは直接関係がないように見えますが、一方で私たちは同じ地球という枠の中で共に呼吸し、学び、生きている存在でもあります。生きるためには、たとえどのような状況にあっても、人は必ず食べなければならない。食べることをやめることはできない。食とは思想や価値観を超えたものです。食べている時間には、あらゆる対立、社会的・政治的葛藤は存在せず、その状態は穏やかで幸福なものです。よって少なくとも食によって、心のレベルでは平和をつくることができると考えています。
——食の心をもって人と関わりを持つということが大切ということでしょうか?
チョン・クワン はい。食べることで心は満たされ、飢えも癒されます。食を通じて私たちはその味や香りについて語り合うことができる、つまりコミュニケーションを取ることができます。必ずしも他者と共にある必要はありません。たとえ一人であっても、目の前の一皿と純粋な心で向き合えば、その時間の中に安らぎを見出すことができるでしょう。
——より広義的な意味で、あなたにとって食とはどのような意味を持つものですか?
チョン・クワン それはまさに私の"いのち"そのものです。食は私の伴侶のような存在で、なくてはならないものです。ただし、少なすぎてもいけないし、多すぎても苦しみになる。だからこそ"中道"が大切なのです。偏らない心でいること。やわらかな心を持つこと。食と共にあるとき、私は安らぎを感じるのです。
では、食べられる量だけよそってください。残してはいけません。この食はいずこより来たるか。私の徳行には受け取るに値するものがない。心の一切の欲を捨て、体を生かす薬として受け取る。悟りを求めてこの供養を捧げます。摩訶般若波羅蜜。
白羊寺(ペギャンサ)
所在地:チョンラナム道チャンソン郡プッカ面ペギャンロ1239
チョン・クワン尼僧Instagram:@jeongkwansnim
テンプルステイのご予約:https://templestay.com/en/...