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太田哲雄[アマゾンカカオとシェフの仕事]前編

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article: Takumi Saito

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生産者、製造者、輸入者、販売者……役割や呼び名は違えど、みなそれぞれが個性的なつくり手だと言える。様々な能力と意志を持つ食材を生み出し、加工し、流通させる"食材のクリエイターたち"を訪ねるシリーズ企画

「アマゾンカカオ」はシェフの太田哲雄さんが展開するペルー産クリオロ種カカオを用いたカカオ商品の総称およびブランドである。産地のペルー北部アマゾン熱帯雨林に位置するサン・マルティン県タラポト市にある農村にて、太田さん自ら現地農家のカカオ生産支援、チョコレートの製造指導、輸入販売を一手に担っている。太田さんがアマゾンカカオで伝えたい世界とは。

ヨーロッパからペルーへ

——「アマゾンカカオ」はいかにしてスタートしたのか。現在カカオをめぐってどのような問題があるのか。さらにアマゾンカカオを通して、太田シェフが目指す世界はどのようなものなのか。それらを紐解きたいと考えています。まずは始まりのペルーまでの道程をお聞かせください。

「エル・ブジ」フェラン・アドリアシェフと 「エル・ブジ」フェラン・アドリアシェフと
「エル・ブジ」フェラン・アドリアシェフと
(写真提供:太田哲雄)

太田 日本での修行のあとヨーロッパに渡りました。イタリアが一番長く、10年くらい住んでいました。イタリアのあとスペインへ行き、カタルーニャ地方ロサスにある『エル・ブジ』でお世話になりました。ただ、エル・ブジは僕が入った頃にはすでに閉店が発表されており、働いている料理人たちの間でも、「これから料理はどこへ向かうのか」という話がよく出ていて。そのとき一緒に働いていたシェフたちは、今ではNetflixの『シェフのテーブル』に登場しているような人たちです。

僕自身、次はどこへ行こうかと考えていて、最初はブラジルのサンパウロにある『D.O.M.』のアレックス・アタラのもとに行こうと思っていました。彼はサステナブルな取り組みをしながら、いかに生産者を支え、自国の食文化を盛り上げられるか、といった活動をされていて、当時のヨーロッパのシェフたちの間でも評価が高かった。その時点では、僕は中南米に対してかなり漠然としたイメージしか持っていませんでした。セビーチェとかタコスを食べて、踊っている、みたいな。でも、スペイン語圏の料理人や、世界中から来ていた仲間たちに、「そんな単純な話じゃない。今、中南米はものすごく勢いがあるんだぞ」と言われたんです。食材の圧倒的な多様性の一方で、食文化はまだきちんと紹介されていない。アンデスがあって、砂漠があって、海があって、アマゾンもある。「テツオ、君も一度行ったほうがいいんじゃないか?」と、何度も言われました。

それまでずっとイタリア料理をやってきたので、「イタリア料理をやっていれば、だいたい世界は見渡せているだろう」と、心のどこかで思っていたんです。でも、スペインに行ってみると、イタリア料理のことをほとんど知らない料理人もたくさんいて、「トマトスパゲッティと……オッソブーコだっけ?」みたいな認識だったりする。そのときに、中南米出身の料理人から食材の"原種"と呼ばれるものが多く残っている土地があることを知りました。たとえば、トマトはイタリア料理に欠かせない食材ですけど、その原種はイタリアにあるわけじゃない。じゃあ、どこが出発点なんだろうと調べた時、ペルーに行き当たりました。ジャガイモやトマト、トウモロコシなど、世界中で日常的に使われている食材の多くはペルーに起源がある。ほぼすべての食材の“ゼロイチ”を生み出してきた土地に思いを馳せて、その国が持っているエネルギーを体感してみたいと思ったんです。

ペルーについて調べていくうちに、ガストン・アクリオというシェフが中南米の料理シーン全体を強く引っ張っていることを知りました。当時、サンペレグリノがスポンサーのレストランランキングの南米編でも、彼は1位にランクインしていて、同じペルーの『セントラル』も、まだ世界的な評価を得る前の時期でした。セントラルのシェフもガストンのもとを出ていましたし、実は多くの一流シェフが彼のレストランで修行をしていた。一度ガストンのところを見てみたいと思いました。

——ペルーには、世界の原種の70%が存在すると言われています。

太田 そうなんですよね。この前、久しぶりにアンデスにいる友人のジャガイモ農家を訪ねたんですが、彼の畑だけで120種類ほどのジャガイモを栽培していました。今僕たちが食べられるジャガイモの種類は、世界に約4,000種あると言われていますが、日本にはそんな数まずない。日本で「120種類のジャガイモを使ったポテトチップス・ミックス」なんて作れない。僕が彼に日本のジャガイモの話をすると不思議の国を見るみたいな目をするんです。「5、6種類のジャガイモをすごそうに語ってるけど、うちの庭には120種類あるよ」と。日本では芽を出させた種イモを植える育て方をしますが、彼にそれを伝えると「そんな農法、初めて聞いた」と笑われる。ペルーでは天然のジャガイモの種を探してきて、その原種から種を取って蒔くものだと。トマトも歴史を辿ると、もとは観賞用としてペルーから船でヨーロッパへ渡り、航海の途中で食料が尽きたから、刻んでミネストローネに入れて食べられたという話があります。

そのように食のルーツを紐解いていくと、「あれ、俺の中の"常識"って何なんだろう」となったんです。ゼロから食を学び直す場所としてペルーはうってつけでした。ペルーに着いてからは、いきなりガストンのレストランに入るのではなく、まずは古典的な料理、ペルーの食のリアルを学びたいと思い、現地のお母さんがやっている食堂に入らせてもらうところからスタートしました。

"アマゾンのカカオ"との出会い

サン・マルティン県ワヤガ川周辺 サン・マルティン県ワヤガ川周辺
サン・マルティン県ワヤガ川周辺
(写真提供:太田哲雄)

太田 ペルーで生活する中で、本当に原種がたくさんあるということや、コーヒーもカカオも採れる国だということをだんだんと知っていきました。おいしいコーヒーやチョコレートを日常の中で楽しんできたつもりだったので、それを軽々と超えてくるレベルのものが見られるんじゃないかと期待していた部分もありました。でも最初に飲んだコーヒーは粉末の顆粒コーヒーだった。チョコレートは「何パーセント」みたいな表示のあるブロック状のものをお湯で溶いて飲むというレベルだった。はっきり言って、質はかなり低かった。日本のコンビニのチョコレートのほうがよっぽどレベルが高い。イメージとしてはガソリンスタンドのレジ横に置いてあるお菓子。あそこにめちゃくちゃおいしいものが並んでいるイメージってあまりないじゃないですか。彼らにとってのお菓子はまさにそういう位置づけでした。パッケージの裏を見ると製造元や輸入会社はペルーになっているんですが、どこかアメリカを経由して戻ってきているような感覚があって。「なんで原産国なのに、こんな消費のされ方なんだろう」という疑問を持ったことが、カカオに向き合い始めたきっかけです。

写真左、ガストン・アクリオシェフ 写真左、ガストン・アクリオシェフ
写真左、ガストン・アクリオシェフ
(写真提供:太田哲雄)

リマの市内に移ってガストンのレストランで働き始めると、状況は一変しました。アンデスのジャガイモから、アマゾンのカニ、カカオ、唐辛子まで、ペルー全土の食材が止めどなく入ってくる。どれも希少で価値の高い食材なんですが、働いている若い料理人たちが、それがどこで育てられて、原住民がどう食べてきたかを理解しているかというと、必ずしもそうではなかった。その頃にはペルーが抱える格差社会の現実もある程度見えていました。リマに出てきてレストランで働けるだけでも、かなり恵まれている。日本であれば、東京に出て仕事を見つけることは、そこまで難しくないかもしれませんが、向こうでは全然違う。高級レストランほど履歴書でふるい落として面接すら受けさせてもらえない。だから彼らは掴んだ仕事に必死で、食材について深掘りするような時間的余裕があまりなかった。周りが誰もやっていないなら、自分がやってみようと思ったんです。アマゾン行きの切符を買い、何度か通ううちに、いくつか農園を見学させてもらうようになって、その中の一軒と深く関わるようになりました。

農園で栽培するクリオロ種カカオ 農園で栽培するクリオロ種カカオ
農園で栽培するクリオロ種カカオ
(写真提供:太田哲雄)

——そこが今も取引のあるカカオ農園ですか?

太田 そうです。基本的には一つの農園だけと取引しています。カカオに関してはその農園が中心ですね。あとはカカオのファミリーであるマカンボやクプアスなどを含め、ペルーとブラジル合わせて3、4か所の農園と関わっています。農園自体に名前はなく、正確には「村」ですね。小さな集落で、農業組合のような形になっています。いわゆる「コミュニティ」という言葉から想像するような整った世界ではなくて、スラムの中にトタン屋根の家が寄り集まっているような場所です。車もほとんど走っていないし、看板が並んでいるわけでもない。家がただぎゅっと集まっている、そんな場所です。地理的にはサン・マルティン県のタラポトという町の周辺にある村で、そこに小規模な生産者がたくさんいます。農家がそれぞれ作ったものを農協に持ち込むような仕組みに近く、村の事業としてバナナ、ココナッツ、カカオを育てたり、魚を少し獲って売ったりして生活しています。また農園といっても、世間がイメージするような整ったプランテーションではありません。農作物を植えて、なんとか明日の生活のためにやっているというレベルです。それは今もあまり変わっていません。

農園で栽培するクリオロ種カカオ 農園で栽培するクリオロ種カカオ

カカオの価格は今、上がっています。以前は1キロ1,000円くらいだったものが、今は5,000円、6,000円する。今日届いたチョコレートは空輸でキロ6,000円です。その価格差によって、彼らには一時的に金銭的余裕が生まれています。前回村を訪れた時、「去年との差額で家を建てたから見てくれ」と言われて見に行ったんですが、正直それは僕らが想像する家ではない。レンガのブロックを積み上げて、風を防げるようにしただけ。それでも彼らにとっては胸を張って自慢できる家なんです。ペルー国内の経済格差は激しく、ガストンやセントラルのヴィルヒリオのようなエリートシェフと、村出身の料理人たちの間にもはっきりとした階層がある。極端に言えばカースト制度のようなものが今も残っている国だと思います。表向きはうまく付き合っているように見えても、その差が本当に埋まることはない。

料理人がメーカーである理由

——ペルーで暮らす中で、本来は豊かなカカオの産地であるはずの場所で人々が安価なチョコレートを消費しているという状況に強い疑問を持たれた。そこから「アマゾンのカカオの価値を現地で循環させる仕組み」に課題感が生まれていったのか。それとも「ペルーにはこんなにも素晴らしいカカオがあるんだぞ」ということを、料理人として発信したいと思ったことが出発点だったのか。アマゾンカカオの最初の動機について、もう少し聞かせてもらえますか。

太田 今でもはっきり言っているんですけど、僕はおいしいチョコレートを作りたいと思って始めたわけじゃないんです。ちゃんと作ればおいしくなるのは当たり前ですし、そこを頑張って伝えたいという気持ちはあまりなくて。それよりもただ、生産者の人たちの生活を助けたかったんです。仲良くなってくると「私たちの生活をテツオに何とか託せないか?」と言われるようになるんです。そこには生まれたばかりの子どももいるし、学校に行きたくても行けない子どもたちがいる。そういう現実を目の前にして、純粋に人として、何かできることはないかと考えていったんです。

僕は料理を作る仕事をしてきた人間で、インポーターなんて一切やったことがなかった。でも自分が使える量を自分で買うくらいならできるんじゃないかと思って。最初は200キロくらいをその場で現金で買ったんですよね。当時の価格でいうとキロ2,000円くらい。2,000円×200キロ。日本に帰っても、まだ何の地盤もない中で、とりあえず200キロだけ輸送の手続きをして始めた。完全に手探りでした。帰国してからその200キロを切り分けて使ったり、興味を持ってくれそうな知り合いの料理人に食べてもらった。最初はやっぱりチョコレートなので、パティシエさんやショコラティエさんにも味を見てもらったんですが、そこで自分の中にあった感覚と、彼らの評価との間に、大きなギャップを感じたんです。

——料理人とお菓子職人とのギャップということですか?

太田 近いです。彼らの多くが求めているのは、扱いやすさ、品質の安定、安定供給。それはすごく理解できる。でも料理人は少し違うんですよね。生産者の世界って、例えば「◯◯さんの農園」が常にトップで、みんなが一斉に買いに行く。でもその裏には名前も知られていない農園が山ほどある。農園はA、B、Cと評価されて、D以下は存在しないものとして扱われてしまう。料理人は、CやDの農園に足を運んで、話を聞いて、「じゃあ、これをどう使えるか」と考える。でもお菓子の世界では、どちらかというと安定供給と加工のしやすさが最優先で「まずはクーベルチュールでしょう」という話になりやすい。でもクーベルチュールはカカオがなければ存在しない。その説明をしても「どこどこの何パーセントで」とか「60%、65%、68%があって」という話に戻ってしまう。そもそもチョコレートの世界を動かしてきたのは、ショコラティエやパティシエであって、料理人が消費してきた世界ではありません。そのギャップが、今も続く"カカオに蓋をする文化"に繋がっているのではないかと思ったんです。

料理の世界では、資源の枯渇や環境問題といったテーマが比較的オープンに語られますが、お菓子の世界では料理の世界ほどそれが語られないように感じます。「常にカカオは供給される」という前提の裏で、原産地の人たちはトタン屋根の家に住んで、その家の子どもたちは学校にも行けない。チョコレートの世界では莫大なお金が動いているのに、この現状はおかしいのではないかと純粋に思いました。"そろそろ表に出さなきゃいけない"という使命感に近いかもしれない。チョコレートは決して清廉な世界ではないし、お金が右から左に飛び交うということは、それだけ裏があるということです。蓋をし続けていれば、いつか必ず爆発する。だから、紹介できること、紹介すべきことは、ちゃんと表に出す。それが自分の役割だと思ってやっています。

これが先ほどペルーから届いたアマゾンカカオです。日本の段ボールとは、もう全然違うんですよね。ご覧の通り薄い。最近は梱包もだいぶ綺麗になってきましたけど、そもそも向こうでは使える紙や資材の選択肢が限られているんです。向こうも一生懸命やってくれる。発泡スチロールを自分たちで切って、テープで留めて、即席のクッション材を作ってくる。切り口が斜めなのを見れば、手作業だって分かります。

この50%のブロック板もそうです。こちらでは薄いモールドに入れろとか、タブレット用の型にしろとか簡単に言いますけど、向こうではモールドは1種類しかない。振動板もおもちゃみたいな簡易的なものを使って、叩いて形を出してきます。その一つの型を使って、卓上でテンパリングを取る。大理石じゃなくてステンレスの台の上で。そこにチョコレートを並べて、ヘラで取って、何百キロという量を少しずつ型に入れていく。フランスの工場に行けば、チョコレートはベルトコンベアで流れてきて、そのまま冷却されて次の工程に送られていく。そういう機材は彼らからすると、もう夢のまた夢です。彼らの現場はテーブル2枚分くらいのスペースで、チョコレートを流して、天板を取って、型に詰めていく。その繰り返しです。

薄いタブレットを作って展開できないかと試したこともありますが、まずプラスチックが手に入らない。一度送ってもらったら、輸送中にタブレットが全部割れていたことがあった。透明な袋が最初は手に入らなかった。アルミ袋だと中の状態が見えないので開けるまで何か分からない。炎天下の中、空港へ荷台で運ばれて、チョコレートが溶けたまま日本に届いたこともある。もちろん支払いはして何とか使い切りました。空輸なんて簡単にできるものじゃない。1枚あたりのコストが一気に上がるんで。

そして今まさになんですが、この届いたチョコレートを見て頭を抱えています。量が多くてどうしようかなと……1キロ6,000円で買ったのでどう使うか。頼んだ内容と違うし、足りないものもある。大手なら契約で相手に責任を押し付けることもできるでしょう。また日本にいると、あれを入れろこれを使えと簡単に言えますけど、何もない場所に行ったらそんな要求はできない。届いたものはすべて買うしかない。様々な判断を、その都度その場でしていくしかない。前提の違いを理解した上で、ものづくりや流通を考えないといけないんです。

——なぜ名前が「アマゾンカカオ」なのでしょうか?

太田 よく聞かれますが、名前にはなぜそれを始めたのか、という理由が入っています。アマゾンで採れたカカオ、ただそれだけの話なんです。「アマゾンチョコレート」でもよかったはずなんですが、あえてチョコレートを前に持ってこなかった。そもそもカカオがなければチョコレートは存在しないし、カカオは必ずしもチョコレートにしなきゃいけないものでもない。カカオはそのままでも食べられる。リンゴ農家が「リンゴはジャムにしないと食べられません」と言っているようなものと同じで、リンゴは生でも食べられるし、ジュースにもなるし、ジャムにもなる。その選択肢の広さを、もっとちゃんと伝えたかった。そういう思いでこの名前をつけてブランドをスタートさせました。

今になって思うのは、時代が少しずつ追いついてきた、という感覚です。活動を続ける中で「サロン・デュ・ショコラ」にも、気づけば8回か9回ほど出させていただいていますけど、最初の頃はチョコレート業界からのアレルギー反応を感じました。「なんだそれは?」「料理に使うなんてあり得ない」「チョコレートはクーベルチュールで勝負するものだ」とかっていう空気です。でも社会全体が確実に変わりつつあって、大量消費が前提の時代から、それでは立ち行かなくなってきた今だからこそ、こうした考え方に共感してくれる人たちが増えてきたように感じます。

スペインでの経験も大きく影響しています。エル・ブジは世界一予約が取れないレストランと言われ、数分で1年分の予約が埋まる。それならそのまま続けていけばいいじゃないかと当時は思っていました。でも続けられない。フェランシェフの苦しさも、現場にいる僕たちには伝わってきた。フードジャーナリストは常に「新しい技術」「新しい料理」を求める。液体窒素を超えるもの、エスプーマを超えるものを出せと言う。でもアイデアは泉のように湧き続けるわけじゃない。一皿を生み出すために半年かけて向き合い、資金もいろんなところからかき集めてやっと成立している。"作り続けること"そのものが限界を迎えた世界で、これからシェフはどのように生きていくべきなのだろうと考えた時、原産国をバックアップする仕組みを持つシェフたちに、少しずつ光が当たり始めているのを感じたんです。

後編へ続く

LA CASA DI Tetsuo Ota

所在地:〒389-0113 長野県北佐久郡軽井沢町発地ニュータウン342-100
アマゾンカカオInstagram:@lacasaditetsuoota
太田哲雄Instagram:@tetsuo.ota