100人の仕入れリスト #005 北村千里 (チクテベーカリー)
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Yuya Okuda(@okuda.desu)
製菓・製パンに携わる人の数だけ、その人にとって欠かせない材料や道具だったり、礎となっているような大切なものがある──。 常に仕入れリストに居座っているような必要不可欠で大切な材料を、製菓・製パンのシェフにいくつかご紹介いただき、それらの材料の用途や魅力、その材料にまつわる思いを語っていただくシリーズ企画『100人の仕入れリスト』。
今回話を訊いたのは、東京都八王子市南大沢の団地内商店街の一角にある「チクテベーカリー」オーナーの北村千里さん。店内には国産小麦と自家培養の発酵種で作られたパンが並び、ひとつひとつ丁寧に「自然栽培 〇〇さんの〇〇小麦のパン」といった説明書きがされている。ここでしか味わえないパンを求めて開店30分以上前から行列ができるほどの人気ぶりは団地の活性化にも一役買っている。20年以上にわたってパンの道を追求してきた北村さんにとって欠かせない材料や道具について話を訊いた。
北村千里(Kitamura Chisato)
美大卒業後、いくつかのパン屋を経て鎌倉の自家培養発酵種と国産小麦のパン屋で修行を積み、2001年11月に実家の1階でパンの卸しと配送を専門とするパン工房をオープン。2003年に工房に2坪の店舗を併設して本格的にパン屋を開業し、2013年に現在の南大沢三丁目商店街に移転オープン。
思い描いていたパン屋
パン屋を始めた時から国産小麦と自家培養の発酵種でパンを作ることにこだわってきました。国産にすれば輸送コストもかからず、直接農家さんに会いに行けるというのがその理由でしたが、ずっと製粉会社さんや問屋さんを通じて顔の見えない国産小麦を使い続けていることに、もやもやした思いも少なからずありました。実際に自分の目で生産現場を見ることで、嘘なく本心からお客さんにお勧めできるパンが作れると思い、2013年に南大沢に移転したのを機に農家さんのもとを訪ねるようになりました。
私が自家培養発酵種のパンを作り始めた頃は国産小麦の種類も全然なく、パンには向いていないという理由で扱っている製粉会社も少なくて、問屋さんを通じてようやく手に入るという感じでしたが、この10年の間に状況が大きく変わってきています。国産小麦が見直されてきて、育種による品種改良も進み、製パン性の優れた小麦もそれを扱う問屋さんも増えて、パン屋さんが製粉会社さんを介して農家さんの圃場に見学に行くという流れも生まれてきていました。私もその流れに乗ってずっと念願だった農家さんのもとや圃場へ見学に行かせてもらうようになりました。
国産小麦と自家培養発酵種のパンというのはルヴァンさんがその先駆けですよね。もともとルヴァンさんにお客として行った時にそのようなパンのことを初めて知りました。その当時からパンが好きで、パン酵母を使うパン屋さんで働いていたのですが、美味しいからと食べれば食べるほど体調が悪くなっていくのを感じていたんです。さまざまな副材料が含まれていることや、もともと私の小麦の消化能力が弱いということもあって、咀嚼が少ないパンを過剰に食べると身体に負担がかかるということがわかったのですが、ルヴァンのパンを初めて食べた時は身体がすごくラクだったのを覚えています。材料はシンプルなのにこんなにいい香りで噛むほどに美味しくて身体に負担が少ない、こういうパンを作りたいなって思ったんです。
でも20年程前はまだ少数派で、ルヴァンさんやうちのようなパンを 街ゆく人があたりまえに食べていただける世の中になったらいいなと思っていました。前のお店の頃は、勇気を出してドアを開けてくれたのに「クロワッサン売ってないんだ」とハード系のパンしか売っていないのを見て帰られてしまうお客さんもいて、申し訳ない気持ちがありました。ポーションなどは変えても基本自分のパンを変える気は全然なかったんですけど(笑)。でも今では学校帰りの子どもやお年寄りが普通に買いに来てくれています。時代とマッチしてきたというか食の多様性が広がったというか、夢のようなことだと思います。いつの間にか自分の夢が叶っていた感じですね。
essentials of 北村千里
- 1. 中川さんの自然栽培のスペルト小麦とミッシュ / 北海道音更町pirkaamam
- 2. オーストリア製 電動石臼製粉機 / 田中三次郎商店
- 3. 上原さんの農林61号全粒粉とライ麦 / 群馬県上原ファーム
- 4. しのえさんの有機北海金時 / オフイビラ源吾農場
- 5. オーガニックひよこ豆 / アルファフードスタッフ
- 6. ENTRE CAMINOS有機オリーブ油 / 丞茶寮
- 7. 波照間島の黒糖 / 波照間製糖
- 8. 松崎太著『ベッカライ・ビオブロートのパン』/ 柴田書店
1. 中川さんの自然栽培のスペルト小麦とミッシュ / 北海道音更町pirkaamam
国産で自然栽培で有機認証をとっているとても希少な小麦です。スペルト小麦は古代種と言われていて、麦の粒が大きく鳥などの外敵から身を守るために外皮も殻も硬く、土作りから行なって地力を高めて外から何も加えることの無い自然栽培に合うんじゃないのかな、と。採れる量が少ないので農家さんにとってはリスクは大きいんですけど、その分私たちパン屋さんがその価値をわかったうえでちゃんと適正な価格で販売し、お客さんに理解してもらったうえで買っていただくことが大事。ミッシュ(混合の意味)のほうにはスペルト小麦とライ麦と現代小麦が混ざっていて、これらを一緒に圃場に撒く農法なんですが、補助金が下りないのでやる人はなかなかいないです。中川さんだからこそ。小麦って補助金があって成り立っているところってあるんです。1年の半分をかけて作るから。ある意味栽培リスクの大きい作物なんです。
2. オーストリア製 電動石臼製粉機 / 田中三次郎商店
中川さんの小麦は玄麦の状態でしか出荷していないので石臼で製粉しています。その他、長野の農家さんの小麦など有機栽培の小麦のみ自家製粉しています。同じメーカーの巨大なものが前の店舗(自宅)にもう一台あります。こっちの小さい石臼のほうは長野のなつみ農園さんの黒小麦とゆくゆくはライ麦の製粉用に。こちらの方が早く挽けるのですが、大きい石臼でゆっくり挽くほうが熱の加わりが少ないのでお休みの日を丸々潰して時間をかけて挽いています(笑)。木製でデザインもかわいいですが、乾燥した気候のオーストリアと違って日本は湿度が高いので、カビないように気をつけないといけません。雨の日などは湿度で木が重くなるので、毎回メモリを調節して石の隙間の間隔を変える必要があります。アナログな作業ですが、そのほうが愛着もわくし気に入っています。
3. 上原さんの農林61号全粒粉とライ麦 / 群馬県上原ファーム
かつて修行させていただいた鎌倉のパン屋さんも自家培養発酵種と国産小麦のパン屋さんで、そこで紹介してもらった群馬県の農家さんから業務を全て引き継いでいただいて、こちらの上原さんで3人目の農家さんになります。「農林61号」はもともとうどん用の小麦なのでそれだけでパンに使うには厳しいと言われてきて、それに自家培養発酵種も均一の菌の塊ではないので発酵力が弱くて安定しにくい。パン作りに使うには小麦自体にもう少し力のある品種と合わせる必要がありましたが、香りも滋味深い味わいもあって最近はとても見直されてきているんです。それに国産ライ麦の栽培にも早くから取り組まれています。圃場との相性もよかったんでしょうね。自然栽培で除草剤も撒いていないので、雑草も生えていて虫たちも居て、それを餌にする鳥たちも飛んでいて、圃場の中に生態系があるんです。ちゃんと循環している環境の中で生き延びている麦なので強い。ライ麦のサワー種と全粒粉の生地状の種で、もう25年くらい継いでいます。まさにチクテのベースです。
4. しのえさんの有機北海金時豆 / オフイビラ源吾農場
オフイビラさんの北海金時はすべて手選別。有機の認証を取って小麦も作られています。豆が大きくて実がしっかりとしているから生地に入れても潰れないし、味がすごく濃くて豆自体の食感も感じることができるからパン生地とも相性がいいんです。小麦はオフイビラさんの有機キタノカオリを使っていて、北海金時はうちの母にほの甘く煮てもらっています。全粒粉たっぷりの生地に入れると和菓子みたいな風味で、日本茶に合うんですよ。
5. オーガニックひよこ豆 / アルファフードスタッフ
ひよこ豆ってけっこう虫がいるんですがこれは全然いないし、ただお湯で茹でただけで甘いんです。それまで豆の違いをそんなに意識していなかったので衝撃的な美味しさでした。季節の野菜のサンドイッチに入れるフムス(ひよこ豆のペースト)に使っているのですが、うちではヴィーガンの方が食べられるサンドイッチはこちらが唯一の商品で、以前このサンドイッチ目当てに通ってくれていた海外の留学生のお客さんがいらして、これなら食べられると喜んでくれて、結果的にですがそういう方のためにもとても大事にしている商品なんです。
6. ENTRE CAMINOS有機オリーブ油 / 丞茶寮
みなさんオリーブオイルに塩を合わせてパンを食べると思いますが、これは塩がいりません。オリーブオイルにしっかり味があるので、どのパンも美味しくなっちゃうんですよ。サンドイッチの仕上げなどに使っていますが、茹で野菜に垂らすだけで豊かな味になりますし、パンに直接つけて食べるとやみつきになりますよ。
7. 波照間島の黒糖 / 波照間製糖
近年はサトウキビが豊作で、豊作であるほど生産者さんにあまりお金が入らないらしいんです。その分たくさん使わなきゃと、問屋さんを介して仕入れているんですが、この黒糖はいわゆる黒色ではないのに味に深みがあって美味しい。「Cバゲット」という黒糖とマカダミアを包んだねじりバゲットに使う黒糖をこの波照間島産のものに変えたのですが、以前より驚くほど売れるようになりました。本当に美味しいものってちゃんとお客さんに伝わるんだなって思わせてくれた黒糖です。
8. 松崎太著『ベッカライ・ビオブロートのパン』/ 柴田書店
兵庫県芦屋で「ベッカライ・ビオブロート」を営む松崎太さんは私と同い年なんですが、ちゃんとドイツで修行されてゲゼレの資格も取られていて、同年代のパン屋さんとして憧れの存在でした。同じ中川さんの小麦を使っていることもあって、今では近況報告や相談をしたりするお友達なんですけど、この本は私のバイブルです。ずっと持ち歩いてすっかりぼろぼろになってしまいましたが。
パンが生み出すコミュニティ
この場所は青空の下でお年寄りや子ども連れのお母さんたちがのんびりと過ごされていて、平日にもかかわらずいつも休日のような穏やかな空気が漂ういいロケーションなんです。前のお店は入るのもためらうくらい小さいお店だったので、今度は誰でも緊張せずに入れるお店にしたいと思っていました。移転した時既に団地も築30年は経っていて住んでいる方も高齢の方が多く、少し寂れた雰囲気があったのですが、チクテをきっかけに人が集まるような空間になったらいいなという思いはありました。近年は若い方も多く住むようになっていて、団地本来の活気が戻ってきているように感じます。コロナの前はイートインもしていて、お店の外にテーブルとイスを出して自由に使っていただけるようにしていたので、週末にはお客さんがパンに合うおかずやお弁当を持参して楽しそうに談笑されていたりと、素敵な光景がお店の前に広がっていました。私はパンを作ることしかできませんが、そうやってコミュニティを生み出す力がパンにはあるのかもしれません。
この春にはイートインも再開して、またそういう光景を見れることが今からとても楽しみです。
チクテベーカリー
東京都八王子市南大沢3-9-5-101
042-675-3585
11:30~16:30(月・火曜休、売り切れ次第終了)
HP : チクテベーカリー
Instagram : @cicoutebakery