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パン屋とライ麦の、心地よい関係

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Article:Takumi Saito

2026年3月23日、アグリシステム主催による「パン屋とライ麦の、心地よい関係」と題したイベントが福岡で開催された。育てる人、流通させる人、伝える人。それぞれの立場でライ麦と向き合うプレイヤーが一堂に会した。

登壇者プロフィール


伝える人/大原弘資(la boulangerie de harimaya)
作る楽しさや食べてもらう喜びが忘れられず、大学卒業後パン職人の道へ。「ポンパドウル」に7年勤務後、熊本「めるころ」に3年勤務しライ麦パンの魅力に触れる。2015年、福岡県北九州市に「la boulangerie de harimaya」を開業。

伝える人/くらもとさちこ
『北欧デンマークのライ麦パン ロブロの教科書』著者。コペンハーゲン在住。30年以上の暮らしで築いた独自の視点で、デンマークの豊かな文化と人々の暮らしに密着してきたパン「ロブロ」を啓蒙している。

育てる人/伊場満広(伊場ファーム)
北海道十勝浦幌町で、小麦、ビート、白花豆など育てる農家。2016年に有機JAS認証を取得。土と作物と人に優しい農業を目指して有機栽培の輪作体系を確立する中で、ライ麦とリジェネラティブ農業に出会う。

流通させる人/伊藤英拓アグリシステム
アグリシステム株式会社代表取締役社長。「未来の子どもたちのために」を理念に掲げ、オーガニック農業やリジェネラティブ農業を推進。育てる人・作る人・食べる人をつなぎ、持続可能な社会の実現に挑む。

ライ麦は土を癒やす力がある

同じ畑で同じ作物を育て続けると、土は次第にその力を失っていく。農業においては長らく「輪作」がその解決策とされてきたが、近年では農家一軒あたりの栽培面積の拡大に伴い、小麦・大豆などの省力作物への偏重が進み、輪作体系は崩れつつある。さらに、化学肥料や除草剤への過度な依存、大型農業機械による過剰な耕起は、土壌のバランスを損ない、その劣化を加速させている。

アグリシステム株式会社伊藤英拓社長は、その文脈でライ麦に着目する。根が深く張り、土壌の硬い層を破壊し、微生物の餌となる。秋に播種してから翌年夏の収穫まで、ほぼ手をかけない。農薬との親和性も低く、有機栽培の輪作体系に組み込める数少ない作物のひとつだ。「ライ麦は、土を癒やす力を持っています」、伊藤社長は農学的事実に基づいてそう語る。

2019年、アグリシステムは契約農家とともにライ麦栽培に踏み出した。農家の反応は好意的だったが、販路確保に苦戦した。一時、在庫は300から400トンにまで積み上がった。転機は2023年。東京農大で開いた試食会に、大原弘資シェフをはじめとするパン職人が集まり、「日本人にも食べやすいライ麦パンを一緒に考えよう」という議論が始まった。その流れが、アグリシステムの「リジェネラティブ・ベーカリープロジェクト」の原点となる。

伊藤社長はこうした取り組みの背景に地球環境への問題意識を置く。「化学肥料と農薬に依存した農業が続いた結果、土壌の微生物多様性は激減しました。微生物が減った土では、作物が本来持つ栄養素を十分に吸い上げることができません。戦前の野菜と現代の野菜を比較すると、ミネラルやビタミンの含有量はすでに半分以下になっています。さらに化学肥料の99%を輸入に依存する現在の構造は有事のリスクを孕みます。土が良くなれば、食が良くなる。食が良くなれば、人が健康になる。人が健康になれば、社会が変わります」と語った。

ライ麦を作り続ける理由

伊場ファーム伊場満広社長は、北海道十勝浦幌町で小麦・ビート・白花豆を手がける農家だ。2016年に有機JAS認証を取得し、35ヘクタールの畑のうち7.5ヘクタールを有機農業に充てている。有機栽培の輪作体系を確立する中でライ麦と出会い、現在は2、3ヘクタールで有機栽培を行っている。

浦幌町は水はけの悪い土地柄で、帯広近郊の農家と同じ収量を上げることが難しいという。そこで伊場社長が選んだのは、作物に土づくりを委ねる方向性だった。トラクターを入れる回数を減らし、土を大きくかき混ぜない。その取り組みを15年続けた結果、水はけが改善され、病気の発生も減ったという。ライ麦は、そのアプローチとの相性が良かった。およそ180センチまで成長するため光が入らず雑草が生えない。深い根が土壌の硬い層を破壊し、微生物の餌となる。手をかけず、かつ土を豊かにする。農家にとって理想的な輪作作物のひとつだ。

イベントの場で、大原シェフは昨年の北海道訪問を振り返った。伊場ファームのライ麦で焼いたロブロを持参し、ライ麦畑の前で伊場社長に直接手渡した。伊場社長は喜んでくれた。大原シェフはその時の感情を「誕生日に、自分が生まれた場所を母親と訪れて、『生まれてきてありがとう』と言われたような感覚でした」と表現した。伊場社長はその日のことをこう語る。「僕の『おいしい』という言葉を、大原さんが『着信音にしたい』と言ってくれました。それだけで、ライ麦を作り続けてきた理由がわかった気がしました」。

大原シェフは「ただ消費して終わるだけでは、農家さんもただ作るだけで終わってしまう。生産者から受け取ったものをバトンにして、お客さんに渡す。それがパン屋の仕事だと思っています」と語った。

焼きたてより、時間が経つほどおいしい

くらもとさちこさんは、コペンハーゲンに30年以上暮らしながら、デンマークの食文化と人々の暮らしを発信し続けている。『北欧デンマークのライ麦パン ロブロの教科書』の著者でもある。

ロブロはデンマークで1000年以上の歴史を持つライ麦パンだ。材料はライ麦粉、塩、水、発酵種のみ。かつては収穫の悪い年にはワラを混ぜて焼いたという記録も残る。デンマークが他の北欧諸国と異なるのは、山がなく風車・水車を効率よく使えたことで、定期的にパンを焼く文化が根づいた点だ。ノルウェーやスウェーデンでは年に数回しか風が吹かない地域も多く、長期保存できる硬いパンが中心だった。「ライ麦100%で焼けること自体が、かつては贅沢なことでした」とくらもとさんは語る。

栄養的な裏付けも確かだ。第一次世界大戦下のデンマークでは、配給制度のもとロブロと野菜だけで国民の健康が維持された。戦後の調査でデンマーク人の健康状態がヨーロッパ諸国の中で最良だったという記録が残る。現在デンマークでは1日最低75gの食物繊維摂取が推奨されており、ロブロ1枚(約50g)で相当量を補える。

「ロブロは焼きたてより、時間が経つほどおいしくなります」とくらもとさんは言う。焼き上がり直後は麦の力強い味が前に出るが、日を追うごとにまろやかになり、酸味も和らいでいく。1週間から10日間楽しめる。1本1,200~1,800円のロブロから18枚のスライスが取れるため、1枚あたり約100円。コンビニのおにぎりより栄養密度が高く、単価も低い。

デンマークにおけるロブロの位置づけは白米に近い。毎日の食卓にあたりまえに存在し、スモーブロ(ロブロの上にバターや季節の食材を重ねたオープンサンド)は日常の夕食にもなれば、日本の寿司に相当するハレの食事にもなる。共働きが当然のデンマークで、1家庭の調理時間は1日30分ほど。その制約の中で豊かに食べるための仕組みが、スモーブロとして長く続いてきた。

手を抜いた方が、おいしい

大原シェフがロブロと出会う前、ライ麦パンは「しんどいものだった」そうだ。修行時代から染みついた「こうでなくてはいけない」という規範の中でライ麦と向き合っていたことで、作ることに疲弊を感じる瞬間もあった。ロブロを知って、それが変わった。

「マラソンと散歩ぐらい違います」と大原シェフは言う。「マラソンは距離も速度も給水ポイントも、ゴールも決まっていますが、散歩はどこへ向かってもいい。ロブロはその散歩に近いです。出来上がったものをそのまま受け入れる。種の今日のコンディション、その日の湿度や温度、すべてがパンに出る。それを『違う』と思わず『これだ』と受け取れるようになった時、ライ麦との向き合い方が変わりました」と語った。

また「ライ麦は酵素が多くて、どんどん溶けていく。手を抜いたくらいの方が、おいしいんです」と説明する。これは怠慢ではなく、ライ麦の性質を踏まえた合理的な判断だ。手数を増やすほど生地は緩み、エグみも出やすくなる。種がしっかり生きていれば、余計な工程を挟まず一気にパンにしてしまう方が香りが出るというのが大原シェフの結論だ。

くらもとさんのロブロ実演に加え、大原シェフはライ麦を用いた2品を披露した。

「フォルコンブロート」は、本別地粉全粒粉とライ麦粗挽き全粒粉を半々に用い、サワードウ・レーズン液種・老麺・サンフラワーシードを加えた配合。捏上温度は22度に抑え、16度の低温室で14~16時間発酵後、5度の冷蔵でさらに3、4時間かける。「香りを閉じ込める感じ」と大原シェフが表現するその工程が、複雑な風味を育てる。サンフラワーシードは食感のためだけに加えるのではなく、その油分がスライスを容易にし、ライ麦の酸味と合わさることでチーズのような乳製品的な風味を引き出す効果もある。焼成は上火240度・下火230度、中心温度98度を目安とする。

「サワードウオールドファッション」は、ライ麦35%という配合でありながら、形はオールドファッションドーナツだ。「ライ麦パンという枠の外にライ麦を持ち込めないか」というアイデアから生まれた。サブラージュ法でバターと粉を合わせ、重曹を加えることでマイナス3度での1週間保存を可能にする。ベーキングパウダーでは2、3日が限界だが、サワードウの酸性環境で重曹が安定して働くため、長期保存が実現する。豆乳を採用するのは「素材の邪魔をせず、すっきりしているが、コクがある」から。週の休業前に仕込み、1週間かけて使い切るというサイクルで、無理なくライ麦を商品ラインナップに組み込んでいる。

13年間焼き続けた経験から

チクテベーカリー北村千里シェフ(写真左) チクテベーカリー北村千里シェフ(写真左)
チクテベーカリー北村千里シェフ(写真左)

実演サポートを行なったチクテベーカリー北村千里シェフは、13年にわたってライ麦パンを作り続けてきた経験からこう語った。「一度商品を絞ってラインナップから外してみたら、『あれないんですか?』という問い合わせが意外に多かった。知っていてくれた人が、確かにいたんです」。定着に時間のかかる商品ほど、地道に続けることが重要だと北村シェフは言う。売れないからやめるのではなく、信じて焼き続けることでしかファンはつかない。同時に「プレーンなライ麦パンを求めるお客さんが、じわじわ増えてきている」という実感も共有された。

両シェフはアグリシステムの粉の使い分けについても言及した。北村シェフは細挽きをフィンランドの堅焼きパン、ハパンコルッカに、砕きライ麦(クネケット)をロブロに使う。大原シェフが選ぶトイピリカ(アイヌ語で「美しい」の意)は、有機転換期間中の農家たちを応援する思いを込めて選んだ素材だ。「リスペクトを形にする方法としての、粉の選び方もあると思います」と語った。

ライ麦の未来をつくる

参加された方々が焼いた様々なロブロ 参加された方々が焼いた様々なロブロ
参加された方々が焼いた様々なロブロ

イベント後半は、参加者それぞれが焼いてきたロブロの持ち寄りテイスティングへと移った。バター、チーズ、オイルサーディン、グリーンペースト、フムス、ジャムなどと自由に組み合わせながら、その変化を共に味わう。くらもとさんが強調したのは「よく噛むこと」だ。噛み続けることで甘みが出る。その体験が、ロブロの本質的なおいしさの理解につながる。認定こども園でロブロを薄切りにして焼いた「パリパリロブロ」を週3回のおやつとして提供したところ、子どもたちの咀嚼力向上や便秘改善に効果が出たという報告も紹介された。

大原シェフは「ご飯に合うものは全部合う」と話した。筑前煮や海苔の佃煮といった日本の日常食とロブロの組み合わせを試したところ、いずれも違和感なく合ったという。ライ麦パンが日本の食卓との距離を縮めていく余地は、十分に残されている。

「小さな変化を起こしたいならやり方を変える。大きな変化を起こしたければ、ものの見方を変えるしかありません」と、伊藤社長はイベントの最後に言った。ライ麦を選ぶことは、単なる原料の選択ではなく、農業・食・社会への視点の変更だ。生産者から受け取ったバトンを消費者に渡し、その連鎖が農地へと返っていく。育てる人、流通させる人、伝える人、食べる人。それぞれがライ麦という一本の線で繋がれるとき、はじめて土と人の循環が生まれるのかもしれない。

【当日の仕入れリスト】

ライ麦パンとロブロの付け合わせ素材