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#国産小麦

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#国産小麦 #国産小麦

明治時代、日本国内で栽培された小麦から作られた小麦粉はほとんどがうどんや素麺に加工されていました。明治維新以降西洋の食文化が普及し、明治時代後半アメリカからタンパク質の多い小麦粉が輸入され、国内でパンが作られるようになりました。酒種とあんこを使ったあんぱんは木村屋を開業した木村屋安兵衛が、明治7年に銀座へ移転した後開発しました。
第一次大戦後(1918年以降)赤さび病という糸状菌(かび)による病気が頻発。これにより小麦の収量が激減しました。そこで海外から春まき小麦、秋まき小麦合わせて385品種を導入し、赤さび病耐性がある品種改良が進みました。昭和37年には小麦の機械化栽培が始まり栽培量が増えました。
しかしながら昭和47年は国産小麦の安楽死の時代と言われるように小麦栽培面積が減り続け、(当時は、国が麦の売買をしていたので買入価格を低く据えおき、そのため小麦農家は収入の良い果樹や野菜に転換して面積を減らした。)小麦は輸入に依存するようになります。昭和48年は、オイルショックやアメリカによる大豆禁輸などが起こり、小麦も含め食料自給率を高める必要性が認識され始めます。その流れから昭和49年国内産小麦の振興対策として小麦増産のための農地整備、機械化、品種・栽培技術の改良などが進められました。
九州・関東・東海などでは水田の転作・裏作作物として、北海道では梅雨のない気候を活用し小麦が栽培されています。昭和60年頃はるゆたかの登場により国産小麦で作るパンの歴史がスタート。そんな中、北海道から超強力系「ゆめちから」が登場。この品種が評価されたことで、パン用の国産小麦の需要が急増しました。今なお国産小麦は時代や食文化の変化、使う側のニーズに合わせ、品種改良が進められています。